魂の絶壁の際でこんがらかった。陰気な、気に喰わない、いやな……、Wは顔中をくしゃくしゃに顰めて、あたかも叱責するように妻の方を振向いた。瞬間、彼は甲高な、刺すようにひどく憐れっぽいマージーの叫声が、
「W、ア! W早く! 救けて」
と息も切れ切れに叫びながら、彼に向って白い丸い、可愛い二本の腕をさし延すのを見た。
「マージー!」
Wは、俄にかっとなるほどの恐怖を感じた。その、何だか分らない、宇宙がどっさりと落ちて、体中にのしかかって来るような致命的な恐怖を反撥するように、或はそれとガッシリ組合って、彼のうちには血がドクドクと音を立てて、狂奔するような反抗を感じた。Wは、愛着、憤怒、恐怖、反抗に夢中に小突きまわされながら、いきなりマージーの足を掴むと、髪の毛を逆立てたような眼付をして、それを力委せに彼方へ捻った、と、同時に、体を半ば宙に浮かせてフラフラしていた彼女は、死ぬような悲鳴と共に、バッタリ軌道を横切って倒れてしまった。動顛《どうてん》した男達は、踵を一厘も動かさないで却って彼女の足の骨を挫《くじ》いてしまったのだ。しかし、誰もそんなことを思うだけの意識を持ってはいなかった。皆の
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