微妙な人間的交錯
――雑誌ジャーナリズムの理想性と現実性――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)所謂《いわゆる》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三七年十一月〕
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今日の雑誌ジャーナリズムは、大ざっぱにだけ眺めわたすと満目悉く所謂《いわゆる》事変ものの氾濫である。すべての雑誌の表紙は刺戟的なグラビア版で赤や黒のフラッシュのついた文字で彩られているようなのであるけれども、そうかといって単純にキングと文芸春秋とは全く等しい傾向をもって、戦時特輯をしているかと云えば、そうでないことは自明である。
ここに極めて複雑である今日の雑誌ジャーナリズムの感覚とひいてはジャーナリストそのものが現代に処する文化的相貌の複雑さが反映していると思う。日本の文化、民衆の道は難航である。それがそっくりジャーナリズムに現れている。
明治の初頭、ジャーナリストたらんとした人々、或はジャーナリズムに関係しようとした人々は、当時の日本文化の進歩に対して国際的な又進歩的な信念をもっている人々であった。社会事情がそのような自信を可能にした。
この社会の木鐸《ぼくたく》をもって任じた雑誌ジャーナリズムは、先ず経営の方面から近代資本の力に支配されはじめ、当時から見れば二代目或は三代目の今日のジャーナリズムは、更に歴史の推進によって、資本の力と、その力を強め守ろうとする二重の力に少からず左右されなければならない事情のもとに置かれている。
この間或る雑誌を見ていたらD・マクドナルドが、現代アメリカの最大なジャーナリストの一人であるヘンリー・ロビンソン・ルースの事業と性格、社会的行動の分析をしていた。
周知のとおり通俗ニュース雑誌、『ライフ』『タイム』『フォーチューン』『アーキテクチュラル・フォラム』等の諸週刊雑誌のほかラジオ・ニュースの放送などで、今日三千万人のアメリカ人にタイム社の影響を与えている男である。
去年の彼の収入は百二十万ドル程あったそうだ。このルースというアメリカ・ジャーナリズムの大立者がマクドナルドの観察にしたがうと、単純な、だが全く対立矛盾した二つの分裂した性格をもっている。
一面情熱的な理想家、人類改善の使命の自覚者である彼が他の一方では極めて実務家で、理想の懐疑者、「原論」の嫌悪者
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