に袴をはく。
棺前祭の始まる少し前あの妹を可愛いがって居て呉れたお敬ちゃんが来て呉れた。
涙をためて雨の中を送りたいと云う人のあるのも知らないのだろう。遺される人の心も――若し知って居るとしたらどうして斯うして冷かに安らけく横わって居る事が出来るだろう。
棺前の祭は初められた。
白衣の祭官二人は二親の家を、同胞の家を出て行こうとする霊に優い真心のあふれる祭詞を奉り海山の新らしい供物に□□[#「□□」に「(二字不明)」の注記]台を飾って只安らけく神々の群に交り給えと祈りをつづける。
御玉串を供えて、白絹に被われる小さい可愛らしい棺の前にぬかずいた時今までの涙はもう止められない勢を持って流れ落ちた。
様々の思い――悲しみと悔い、心を痛めて起る様々の思いに頭が乱されてクラクラとなった、今にも何か口走りそうであった。下を向いてどこかになげつけたい様な気持で元の席に戻った。
なんど来ても結てやらなかった髪は今私がいかほど心を入れてといてやったところで一つの微笑さえ報いて呉れないではないか。
欲しいと云ってもやらなかった人形をやらなかった事を思ってせめられる私の今の心よ、只一言、私の名を呼んで呉れたらすべての苦しみは忘られ様ものを。
幾多の人に供えられる玉串はうず高くつまれて式は終った。一つ一つ涙を誘う祭詞の響は今も尚私の胸に残って居る。
二親と同胞に囲まれて柩は門を出た。
私はせめてもの心やりにそれに手を持ちそえて美くしい塗の私のたった一人の妹を送るにふさわしい柩車に乗せた。
私達もすぐ後の馬車に乗った。
静々と車はきしり出す。声もなく、うなだれて見送人達の心よ。
見えがくれする金《きん》金具の車の裡に妹が居ると思えば不思議な淋しさと安らかな気持が渦巻き返る。
雨の裡を行く私の妹の柩。
たった一人立ちどまって頭を下げて呉れた人のあったのがどれほど私の胸に有難く感ぜられた事だろう。
ぬかるみの道を妹の柩について、私は世界のはてまで行くのでは有るまいかと思った。
長くもあり又短かくもある道を青山についた時時間はまだかなり早かった。
涙をこぼしてはならないと自らいましめる様な言葉が胸に浮んで地の中にめり込みそうな気持になりながら一滴の涙さえ頬には流さなかった。
祭官の祭詞を読む間も御玉串を供える時にも喪主になった私はいろいろの事を誰よりも一番先にした。恥かしい気もうじうじする気も私の心の隅にはちょんびりも生れて来なかった。
御供をし又それを静かに引いて柩は再び皆の手に抱かれて馬車にのせられ淋しい砂利路を妹の弟と身内の誰彼の眠って居る家の墓地につれられた。
赤子のままでこの世を去った弟と頭を合わせて妹の安まるべき塚穴は掘ってあった。
私はその塚穴の前に立った。
柩の両端に太い麻繩は結いつけられて二人の屈強な男の手によって、頭より先に静かに――静かに下って行く。
降りそそぐ小雨の銀の雨足は白木の柩の肌に消えて行く。
スルスル……、スルスル、麻繩は男の手をすべる。
トトト……、トトトト、土の小さなかたまりはころげ落ちる。悲しみの静寂の裡に思い深く二つの音は響く、繰り下げるだけ男は繩を持つ指をゆるめて柩は深い土の底に横わった。
私は土を握って柩の上に入れた。
コトン、ただ一度のその音は私の心をあらいざらいおびやかして行って仕舞った。
もう一つ、母の代りに、
もう一つ、亡くなった妹の兄達の代りに、私は沢山の土を入れた。
一つを手ばなす毎にこの踏みしめる足がついすべってその柩の上に重って落ちるのではあるまいか。
傘をつぼめて居る私の黒衣の肩に雨が歎く。やがてザックザックと土をすくって柩の上を被うて行く音を聞いた時、急に私の心に蘇った恐ろしいほどの悲しさが私の指の先を震わし喉をつまらせ眼をあやしく輝かせた。
幾時かの後、私が又ここに送られて妹のわきに横わるまでまたと再びこの柩の影さえも見られないのだと思うと腹立たしい様な気持になって思いなげに土をかけて居る二人の男をにらんだ。
私が男をにらんで居る間も土は上へ上へとかさなって今立って居る処と同じほどの高さにまで被われて仕舞った。
父親の手に書かれた墓標はその上に立てられ親属の者におくられた榊の一対はその両側に植えられた。
四角く土をならし水を打ち莚を敷いて最後の式はスラスラとすんで仕舞った。
何と云うあっけない事だろう。
私の只った一人の妹は斯うして喪むられて仕舞った。失せられていやます肉親の愛情の不思議な力は私には堪えられないほどなつかしい尊い思い出となり、涙となって今現れる。柩の上にさしかかって居た杉の若木の根ざしよ、あの上にやさしくはびこって美くしいあみとなってさわがしい世のどよみを清く浄めて私の妹の耳に伝えてお呉れ。
お前方の迎えるままに私達はおしむ事を知らない骨肉の涙にその晴着を濡しながらも小さいお飯事道具とお人形を持たせて送ってやったのだよ。
私のたった一人の妹をだよ。
土! よくお聞き、何物にもかえがたい私の妹をだよ、たった一人の、――
どうぞお前方には尊すぎる花嫁を迎える新床をやんわりと柔らかくフンワリとやさしくしてお呉れ。どうぞね、土よ。
残されて歎く一人の姉の願いを聞いてお呉れ。
雨が降る――風が吹く
土《つち》のお宮は淋しかろ 寒かろう
送ってあげたや紅の地に
金糸の花を縫い取って
真綿を厚く夜の衣《きぬ》
それにそえては虹のよな
糸でかがった小手毬を――
日はひねもす夜は夜もすがら
銀の小針をはこばせて
縫いは縫うたが悲しやな
送りたいにもつてはなし
土のお宮にただ一人
妹《いも》を送りし姉娘
縫いあげし衣《きぬ》手に持ちて
わびしく一人たたずめる、――
土のお宮の城門《しろもん》に――
「あけてたべのう門守の
おじいさまよ」と願えども
青い着物に銀の鎌
いかめしゅう立つとしよりは
くぼんだまなこで緋の衣を
じいっと見たまま立って居る
いつまでも――いつまでも
「それならわたしが行こうとは
申さぬほどにこの衣を
妹にやって下され」と
云うも叶わぬ願い事……
ホロホロと涙は雪のその様に
白い真綿にしみて行く
かけ入ろうにも門はなし
たのみたいにもつてはなし
縫いあげし衣手にもちて
残されし姉さ迷よえる
その名を呼びて 涙して――
雨が降る――風が吹く
土のお宮は淋しかろ 寒かろう
送ってあげたや この衣を
この毬を
残されし姉 さ迷える――
[#地から5字上げ](終)
――○――
たった一人の掛けがえのない妹を失った私は大なる骨肉の愛情の力と或る動機によって一変する人間の感じと云うものの不思議さを知った。どうして今度斯う云う事を私が思ったかと云う事は亡き妹の性格と容貌をはっきりわからせなければそのわけが分らないのである。
世の数多《あまた》数多い子供の中には何とはなし可愛げのない児と云うのがある。
不幸な事には彼の妹もその一人であったと思われる。
只一眼その姿を見てそそられる様な清い愛情の湧く姿も声も神からさずからなかった。
誰れにも似て居ない赤坊を見た時二親なり同胞のものが変な感じにおそわれるのは自然な事である。
生れた児には何のつみもない。只不幸な偶然な出来事に会ったと云うよりほか仕方がない。その不幸なる思いがけない出来事によって直接その児が同胞達からいい気持をされなかったと云う事は実にくらべるものない惨めな事である。
よく人は容貌によって愛す愛さないと云う事はないと云うけれ共、一目見て不愉快な感じをあたえる顔をしたものをこの上なく愛すと云う事は人にまれな美徳なり技術なりがその醜さを被うて居る時ででもなければ大抵は出来ないものである。
まして何の色彩もない自己を装う事をしらない子供はありのままの自分をいつでも誰にでもさらけ出す。
子供特有の無邪気さはあってもそれをよけい美くしくする麗わしい容貌がいるものである。たしかに私はそれを信じて居る。
子供と云うものが従来最も神に近いものとしてあっただけ子供と云えば美くしく想像する。極く育とう、育とうとする子供の時代は万事の事がいかにも人間、人間して居る。
食べるものを遠慮なく欲しがる、その時に白い髪の黒い子が口を小さくしながら膝にすがって堪えられない魅力のある美くしいお菓子に折々流眼を呉れながらねだったならたとえいけないと叱るにもたまらない愛情がその心の奥にうごめいて居る。けれ共若しそれがきたならしい子だったら只もう不愉快な感ばかりになって仕舞う。
子供につきものの愛嬌と云うものにとぼしい私の妹は笑うと云う事が比較的少なかった。子供にしては智的な意志の強い性質が顔に少しも子供らしい柔かみをあたえて居なかった。口元はそう云うたちの人に有り勝な大きくムンと結んで幾分かこわい様な二つの眼はよく張った額の下で輝いて居た。
人に云われても一度自分の心で決した事はいやでも応でも仕とげる、そのために態度は随分粗野であった。
声なんかも荒く出来て居た。
けれ共色は白く髪は厚かった。粗野な一面には非常にデリケートな感情があって父親や兄達のこまこました事はやさしくしてやった。只一人の妹と云う事から両親の次に私はこの妹を大切にした、髪などをたまに結ってやったり歌を教えたりした。
私の膝に抱かれたまま、私の髪の毛をいじる事が大変すきで胸の中に両手を突き入れる事などは亡くなる少し前からちょくちょくして居た。
小さい丸い手で髪をさすったり顔をいじったりした揚句首にその手をからめて、自分の小さい躰に抱きしめて呉れた思い出はどんなに私を悲しい心にさせる事だろう。
私は大変なつかしがって居て呉れた事は兄達に怒られる毎に泣きながら私の名を呼んだのでもわかる。
私の心を今でもかきむしるのは私のもう一つの名をつけて呉れたのはこの妹である事である。
自分は中條華子と云う、私は(中條で)自分の姉だからねえちゃんと呼びならして居たから「中條ね」であると云って「中條ね」「中條ね」と笑いながら云って居た。わけをきかなければなかなかわけの分らない名でありながら私はこの名を低く口に繰返して不思議にむせび泣く様な気持になる。
只、その名をつけて呉れた妹を失ったと云うばかりで私の心はなげくのである。
今斯うしてせわしい時をいとう事もなく悲しかった時の事をその事によって得た心持を書き記す事をするのも何と云う心が私に斯うさせるのであろう。
皆骨肉のあやしい愛情が私の手にペンをとらせ文字を綴らせるのではないか。
只一人の妹を失った姉の心はその両親にもまさって歎くものである。
あの時に髪を結ってやればよかった、あの時にあの着物をきせてやればよかった。
あの時にもう少しながく抱いて居てやればよかった。
今はもう取りかえしのつかない事を悔いる心は日々眼にふれるささいな事によってでも起る。
あの幼ない妹にそそぐべき愛はあれよりももっともっと沢山あったのではあるまいか。
召使のものたち、又見知り越しのものたちはその時こそ涙をこぼしもし思い出を語り合いもするけれ共、十日祭も早とうにすんで仕舞った今日、堪えられない思い出にふけって涙をこぼすものがどこに有ろうぞ。
刻々と立って行く時はどうにでも人の心をかえて行く事が出来る。幾久しい時が立つとも変らないものは只一人骨肉の愛情ばかりで有ろう。
この世の限り最も根づよい頼もしいものは骨肉の愛があるばかりではあるまいか。
私は今となって、骨肉の愛と云うものがいかほど力強いものであるかと云う事を知った。
今となって彼の妹が居た時分の悪戯をだれが云い立てるだろう。
誰がそのきかない子だった事を云っていやな顔をするものがあるだろう。
「死」ただ此の一言のために妹に対する人々
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