た人でないかぎりは必ずそうあるべき事なのである。何処に居て誰の手に寄ろうと死は一つ死で有ろうけれ共、私は、我が幼児が親同胞にとりかこまれて、何物にもたとえ様のない愛の手ざわりと、啜り泣きの裡に逝ったと云う事はさぞその魂も安らけくあっただろうと想う。
 誰一人額に手をふれる人もやさしい涙にその今はの床をうるおすものもなくて逝く魂ほど淋しい不安なものはあるまい。
 我がために涙をながして呉れる人が此の世に只一人でもあるうちは私は必ず幸福であろう、それを今私はめぐみの深い二親も同胞も数多い友達も血縁の者もある。
 私の囲りには常にめぐみと友愛と骨肉のいかなる力も引き割く事の出来ない愛情の連鎖がめぐって居るではないか。
 実に感謝すべき事である。
 夢の如く生れて音もなく消え去った私の妹の短かい、何の足跡も残さない一生涯を見るにつけ、知らず知らずの間に踏みつけて行く生の足蹟がやがて亡き後にいかばかり大いなる力になって現われるかと云う事を思う。
 育ちきれずに逝った児の力をもあわせて、二人前の力強い消えない足蹟を人の世の中に――汚されぬ高い処にしっかりと遺さなければならない事を思わされる。

        (四)[#「(四)」は縦中横]

 思うさえ胸のつぶれる様な納棺の日である。
 私はその席に連る事を恐れた。
 悲しさのために私は恐れたのである。
 二つ三つ隔った処に私はだまって壁を見て座って居た。
 私を呼びに来る人を心待ちに待ちながらも行きかねた気持であった。
 物凄い形に引きしまった痛ましい感情が私の胸に湧き返って座っても居られない様なさりとて足軽くあちらこちらとさ迷えもしない身をたよりなくポツントはかなく咲くはちすのうす紫に目をひかれて居た。
 激しく疲れたと云えば云えるし気の抜けた様なと云えばそうも云える。
 極度の亢奮の後に来る不思議に沈んだ気持が私の体のどこかにやがて命も取って仕舞いそうな大穴をあけた様に感じてさえ居た。
 今来るか――今来るか、悲しい黒装束の使者を涙ながらに待ちうけるその刻々の私の心の悲しさ――情なさ、肉親の妹の死は私にどれほどの悲しみを教えて呉れた事だろう。
 よしそれが私の身に取って必ず受けなければならない尊い教えであったとしても、一時も一息吐く間も後《おそ》かれと希って居たのに、――けれ共後かれ早かれ一度は来なければならない事が只時を早めて来たと云うばかりであろう。
 死を司る神に取っては、我が妹の死が十年早くとも又よしおそくとも何の差も感じないに違いない。
 それに涙が有ろうが有るまいが死の司は只冷然とそのとぎすました鎌で生の力と争いつつ片はじからなぎ立てるのみが彼の仕事で又楽しい事なのであろう。
 到々私は呼ばれた。
 引きたてられる罪人の様に苦しく苦しく見たくもなくて見ずには居られないものに向って進んだ。
 私がその部屋の入口に立った時、美くしい友禅の影はなくて檜の白木香り高い裡に静かに親属の手によって納められ、身の囲りにはみどりの茶が入れられて居た。
 姉らしい憂いに満ちた優しい気持で、私は先に欲しがって居てやらなかった西京人形と小さな玩具を胸とも思われる所に置いた。
 欲しがって居たのにやらなかった、私のその時の行いをどれほど今となって悔いて居るだろう。
 けれ共、甲斐のない事になって仕舞ったのである。
 小さい飯事《ままごと》道具を一そろいそれも人形のわきに納められた。娘にならずに逝った幼児は大きく育って世に出た時用うべき七輪を「かまど」を「まな板」をその手に取るにふさわしいほどささやかな形にしてはてしもなく長い旅路に持って行く。
 五つの髪の厚い乙女が青白い体に友禅の五彩まばゆい晴衣をまとうて眠る胸に同じ様な人形と可愛い飯事道具の置かれた様を思うさえ涙ははてしなくも流れるのである。
 飯事を忘れかぬる優しい心根よ。
 一人行く旅路の友と人形を抱くしおらしさよ。我妹、雪白の祭壇の上に潔く安置された柩の裡にあどけないすべての微笑も、涙も、喜びも、悲しみも皆納められたのであろうか。永久に? 返る事なく?
 只一度の微笑みなり一滴の涙なりを只一度とのこされた姉は希うのである。
 思い深く沈んだ夜は私の吐く息、引く息毎に育って糸蝋のかげの我心の奥深くゆらめくのも今日で二夜とはなった。
 明けの夜は名のみを止めた御霊代を守って同じ夜の色に包まれるのであろう。

        (五)[#「(五)」は縦中横]

 白みそめる頃からの小雨がまだ止もうともしずに朝明の静けさの中に降って居る。
 眠りの不足なのと心に深く喰い込で居る悲しさのために私の顔は青く眼が赤くはれ上って居た。
 雨のしとしとと降る裡を今に私共はこの妹を静かに安らえるために永久の臥床なる青山に連れて居かなければならない。黒い紋附
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