お孝さんは熱情家だ、と云った言葉は、おおざっぱではあるけれども、当っていると思った。
少くとも、孝子夫人は、自分としての性格をもって居られた。その性格は、或る強さと純粋さとをもっていて、腹のきれいなと云われる人柄であったと思う。まめな、体も感情もよく働いていとわない、自分とひととの間に活々とあつく流れるものを感じていたい、そういう女性の一人であり、日々の生活をとおして、いつも溌溂と人生を感じ味おうと願っている女性の一人であったと思う。
孝子夫人は人生の感動を、生活の中に求めるひとであったのではなかったろうか。
多くの女性は、人間らしいこの欲望を、三十前後に失ってしまう。孝子夫人は、終生自分なりの形でそれをもちつづけた女性であった。この人間としての宝は、しかし、現実のなかでそのもち主たちを決して小さな安住の中にとどめておかないものである。さりとて日本の習俗のなかでは、闊達自在の表現で、その情熱を情熱のなりに発露させることもむずかしい。そのような社会の伝統に生まれた私たち日本の女性が、その情熱の翼さえ、おのずから短くさずけられて、重い日常から高く翔ぶにしては、未だ十分の羽搏きをし得な
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