らであった。
 永年糖尿病をもって居られ、そこから生じた複雑な病症で、経過は困難であった。おうちの方々は実に母さん孝行で、峰子さんなどは、自分の家庭とお母さんの看病と、おどろくばかり献身された。長男の鉄夫さんが花嫁をもらわれ、勝彦さんが出征され、松の茂った丘や玉川へ向う眺望のよい病床も多端であった。
 その前ごろから、孝子夫人はラグーザ玉子の絵をいくつか集めて居られた。額のかかっている応接間まで歩いて来られ、ラグーザ玉子が、老年なのに心から絵に没頭していて質素な生活に安らいでいることや、孝子夫人の心持をよろこんで、会心の作をわけたことを快よさそうに語られた。
 ラグーザ玉子の画境は、純イタリー風で、やや古典的な確かな技法とともに、こまやかな味、平和な趣の作品が多く、それはこの老婦人画家の心の景物を示すとともに、孝子夫人の求めていられた和らぎにこたえたのであろう。
 二度目に上って、すこし時間があったとき、孝子夫人は執拗な咳こみに苦しんで居られた。その間に、わきにいる私が気味わるくないかと頻りに気をつかわれた。どうして気味などわるかろう。私は母と同じ種類の宿痾からそうやって苦痛と闘ってい
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