較的芝居は観る方で、演芸画報をかかさずとっていたが、有名な沢正を観たのは、お孝さんのすすめによってであった。帰って来て、
「あれは、どうして熱がある。あの男は相当のものだ」
と云ったりしていた。
「あの熱のあるところが、お孝さんの気性に合うのだね。ただの役者じゃないよ」
 そして、感慨ふかげであった。
「お孝さんも熱情家だからね、品川の伯父さんの娘だけあって、あらそわれないところがある」
 シラノ・ド・ベルジュラックを白野弁十郎として演じたのは、沢正一代の傑作であり、特質を全幅に活かしたものであったろうが、母もその頃は、お孝さんの傾倒に十分の同感をもつようになっていた。
 段々接触が多くなるにつれ、お孝さんは母のいいところも至らぬところも理解されたらしいし、母もお孝さんの裡に、自分の血管のうちに流れている一種の激しい、しかも正直で術策のない、ロマンティックな要素も多い熱血を感じとったらしく思われる。
 私は、漸く人間の心持の曲折や、ことには女の生活の明暗が、いく分身にひき添えてわかる時代に入って来た。
 母の生活にあらわれる光りと翳を、女性のその時代、その年頃の生命の波だちとして感じられるようにもなり、ひいてそのことは、日本の世間のしきたりや女の暮しとして定められている形と女性本然の生活への翹望というものが、時にどんな形で相搏つものかということについて、深く心をうたれる場合を多くした。
 古田中夫人の性格というものが、徐々に一つの力をもって私にかかわるものとなって来た。
 この時分、どういう折のことだったろう。夫人は私に一つ指環を下すった。お孝さんはなかなか趣味家で、指環にも趣好があるらしいよ、というようなことを、母からきいていた。いつも、さっぱりと一つほど、気にかなった指環をして居られて、それはどれも仰々しいところのない、親愛な気分のものだった。
 私に下すったのはイタリーのカメオが金の台にとりつけられている、極くさっぱりとした品であった。柔かみのある灰色地に白で肖像のついているカメオを、装飾のない金の座で単純にとめてある。其は、母が哀慕していた謙吉さんという人が、アメリカ土産にお孝さんにあげたものだったそうだ。妹の長女である私は小さいとき、謙吉さんから養女にもらわれかかったことがあったという話も、いつか夫人につたわって、その指環をいただくことにもなったと思われる
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