足をした谷崎氏にあってそうであるとすれば、その他の日本の代表的ブルジョア作家が、はたしてどの程度にインテリゲンチアとして今日の封建性に対する筋骨の剛さを実際力として備えているか、疑わしいと思う。
大宅氏は、『文芸』の論文で腹立たしげな口ぶりをもって、「日本の文化全体を支配している安価な適応性の一つ」として転向の風に颯爽と反抗するプロレタリア作家の見えないことを痛憤している。階級的立場のはっきりした人物は、今日、加藤勘十が見得を切っているような風にはふるまえない。そういう情勢であるからこそ、いわばかつて個人的な作家的自負で立っていた時代のプロレタリア作家が、心理的支柱を見失って転落する必然があるのであろうか。
それにしろ、日本のインテリゲンチアが特殊な歴史的重荷をもっていることは争えない事実であると思う。おくれた資本主義国として、半封建のまま忽ち帝国主義に発達するテンポの早い歴史は、日本のインテリゲンチアに敏捷な適応性を賦与していると同時に、勤労大衆の日常生活をきわめて低い水準にとどめている封建的圧力そのものが、インテリゲンチアの精神にもきびしく暗黙の作用を及ぼしている。
中途半端に蔕《へた》からくさって落ちた自由主義の歴史に煩わされて、日本のインテリゲンチアは、十九世紀初頭の政治的変転を経たフランスのインテリゲンチアとは同じでない。対立する力に対して、人間の理性の到達点を静にしかし強固に守りとおし、その任務を歴史の推進のために光栄あるものと感じ得る知識人らしい知識人さえも、日本においては数が少いのである。
無理がとおれば道理がひっこむ、といういろは[#「いろは」に傍点]歌留多の悲しい昔ながらの物わかりよさが、感傷をともなった受動性・屈伏性として、急進的な大衆の胸の底にも微妙な形に寄生している。プロレタリア作家が腹の中でその虫にたかられている実証は、「白夜」その他同じ傾向の作品の調子に反響している。
もし、おのおのの主人公をして事そこに到らざるを得ないようにした錯綜、また〔三字伏字〕(復元不可能)配置された紛糾混迷などを描き出して、せめては悲劇的なものにまで作品を緊張させ得たら、人は何かの形で今日の現実に暴威をふるう権力の害悪について真面目な沈思に誘われたであろうと思う。けれども、これらの作者たちは、いい合わせたように、現実のその面はえぐりださず、自身の側だけを、ああ、こうと、取上げ、その関係において中心を自分一個の弱さ暗さにうつし、結局、傷心風な鎮魂歌をうたってしまっている。
動揺のモメントが共産主義や進歩的な文化運動への批判、個性の再吟味にあるという近代知識人的な自覚は、その実もう一重奥のところでは、土下座をしているあわれなものの姿と計らず合致していると思うのである。
私がさっき村山や中野に連関してくちおしいといったことの中には、私たちの現実として負わされているこの革命的階級性以前の自己の弱さ、自分ながら自分の分別の妥協なさに堪えかねるようなところに、彼らがうちまけている、それがくちおしいという意味もふくんでいるのである。
だいたい転向作家の問題は、勤労大衆とインテリゲンチアに対し、急進的分子に対する不信と軽蔑の気分を抱かせるために、たくみに利用されていると思う。大衆の進歩的な感情を少なからず幻滅させ、部分的にはそれへの嫌厭の感情にかえた。その責任は自覚されなければならないと思う。舟橋聖一氏が昨今提唱する文学におけるリベラリズムの根源は、そういう反動的憎悪とかつて進歩の旗のにないてであったものへの報復的アナーキーの危険の上にたっているのを見て、私はつよくそのことを考えるのである。
ロシア文学史は、どの時代をとって見ても面白いが、私はこの間その中でも感銘ふかい一節を読んだ。丁度ロシアにマルクス主義が入った一八九〇年代の初めに、ロシアの二十県に大饑饉が起ったことがあった。八〇年代の農奴制度の偽瞞的な廃止やその後に引きつづいて起った動揺に対して行われた弾圧のために消極的になった急進的な若い分子は、この饑饉の惨状の現実をモメントとして民衆悲惨の問題を再びとりあげて立った。ゴーリキイがまだ二十一歳ぐらいでニージュニイで自殺しそこなった前後のことである。初期のマルキシストをふくむ急進的インテリゲンチアは、饑饉地方に出かけて行って、その救護や闘争のために全力的援助をした。饑饉が終るとコレラが蔓延し、一揆があちらこちらで起ったが、このとき、怒った大衆の標的とされたのは誰あろう、ともに餓えて疫病と闘った急進的知識人と医者とであった。
このからくり[#「からくり」に傍点]に采配をふるったのは、ツァーの有名な警視総監である大官ポベドノスツェフであった。そして、この奸策を白日のもとに明かにしたのは、もちろんポベドノスツェフではなく、足をすくわれた後、立ち上ったロシアのマルキシストたちであった。
私は日本プロレタリア文学史の中でも、こんにちのさまざまな現象が、やはりそのような視角から明らかにされる時のあることを想像して、尽きない興味を覚えるのである。[#地付き]〔一九三四年十二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「文芸」
1934(昭和9)年12月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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