足をした谷崎氏にあってそうであるとすれば、その他の日本の代表的ブルジョア作家が、はたしてどの程度にインテリゲンチアとして今日の封建性に対する筋骨の剛さを実際力として備えているか、疑わしいと思う。
 大宅氏は、『文芸』の論文で腹立たしげな口ぶりをもって、「日本の文化全体を支配している安価な適応性の一つ」として転向の風に颯爽と反抗するプロレタリア作家の見えないことを痛憤している。階級的立場のはっきりした人物は、今日、加藤勘十が見得を切っているような風にはふるまえない。そういう情勢であるからこそ、いわばかつて個人的な作家的自負で立っていた時代のプロレタリア作家が、心理的支柱を見失って転落する必然があるのであろうか。
 それにしろ、日本のインテリゲンチアが特殊な歴史的重荷をもっていることは争えない事実であると思う。おくれた資本主義国として、半封建のまま忽ち帝国主義に発達するテンポの早い歴史は、日本のインテリゲンチアに敏捷な適応性を賦与していると同時に、勤労大衆の日常生活をきわめて低い水準にとどめている封建的圧力そのものが、インテリゲンチアの精神にもきびしく暗黙の作用を及ぼしている。
 中途半端
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