はさまざまな意味で動的な人の心持の推移がそこに反映している実例として、それを感じた。
中村武羅夫氏や岡田三郎氏によって、いわゆる転向作家に対するボイコットが宣伝されたとき、私は、ふとその友達の話を思い出したのであった。そして誰の目にも明らかなように、反動的な動機から呈出されている両氏のいい分のかげに隠されているものに対して、注意をひかれたのであった。何故なら、もし一般の人々の感情が、ひと頃のように、プロレタリア作家の間でさえいわゆる転向しない者は間抜けのように見られていたままの弛緩し切った状態であったならば、両氏は、転向作家ボイコット提唱を可能にする社会的感情のよりどころを、つかむことはできなかったであろうから。また、転向が否定的な意味をもって一般の問題となってくるからには、当然他の半面に立つものとして、抵抗をつづけている者たちの、この社会における存在が、再び見直され、かつそれに対する評価は、ひところとちがって来ていることを暗示しているのではないであろうか。私はそれらの錯綜を興味ふかく思うのであった。
この二三ヵ月は月評につれて小林・室生両氏をはじめ、二宮尊徳について書く武者小路氏
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