掌もひところのように赤ん坊が生れたからと云って退くひとがなくなって来た。堂々子供をつれて職場にねばるようになって来た。

 ××終点の引かえし線の安全地帯に立っていたら、すぐうしろで、
「ストライキ見に来たよ」
と太い男の声がした。ふりかえって見ると、銀モールの太い紐をかけた潰し島田に白博多の帯をしめた浴衣姿の芸者がいて、男はその芸者屋の主人という風体である。絞りの筒っぽで、縮緬の兵児帯を尻の先にグルグル巻きにしている。
「ストライキをやってるってえから……電車動いてるじゃないか」
 その芸者は黙って、安全地帯の上から珍しそうに通って行くバスの中をのぞき込み「お父さん」何とかと、云っている。
「車庫へ行って見よう」
 やがて五十がらみの男はそう云って歩き出したが、芸者はそれについて二三歩あるいたきり、安全地帯からはなれず、頻りに四辺を見まわしている。
 終点のまわりには、何ということなし、街の様子を見物に出ている子供づれの女や男が、安全地帯のところではなく、洋服屋の既成品のぶら下ったしたあたりに佇んでこっちを見ている。
 六時すこしまわった刻限で、その場末の終点の光景は一種特別であった。市内から終点に向って来る電車はどれも満員で、陸続と下りる群集が、すぐ傍の省線駅や歩道の各方面にちらばるが、その電車が終点からベルを合図に市内に向けて出発する時はどれにも、ちらほらとしか乗客がのっていない。
 一台ポールの向きをかえるごとに、安全地帯の上をコツ、コツ、歩いている赧ら顔に新しいカンカン帽をかぶり、縞ズボンに白い襟がついた黒チョッキ、黒上衣といういでたちのずんぐりした四十男が、
「××橋行きでございます。××橋行きの方はおのり下さい」
 または、
「どこだい?」
と、横柄な親しさで背広服の急造運転手に声をかけ、
「×橋行か」
 声の調子を改めて、
「×橋行きでございます。――××方面のお方はおのり下さい」
 一こと一ことをはっきりと呼んで、またコツ、コツ安全地帯をこっちへやって来る。
 私がここへ来たばかりの時、その妙にきわだった服装の私服めいた男は、白粉やけのした年増女と、声高にこう喋っていた。
「あんまり見ちゃいられねえから、手伝ってやるのよ。――あっちこっちから役人をひっぱり出して来ているんだから、まるきし何も分りゃしねえ」
 そう云って、その横にいる私の方を聞いたか
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