動坂は、こまかい店のびっしりとつまったひろい石じき道の坂であった。
 その、もう一つ前の動坂は、私たち本郷辺の子供らになじみのふかい動坂で、坂の幅はもっともっとせまく、舗装もしてない急な坂だった。動坂を下りて、ずっとゆくと、二股になった道があって、そこに赤い紙をどっさり貼りつけられた古い地蔵さんの立っている辻堂があった。田端の駅へゆくときは、その地蔵のところから左へとって、杉林などが見えるところから又右へ入って、どうにかしてゆくと、忘れられない急な切どおしの坂があった。右側が崖で左は平らで梅が咲いたりしている大根畑だった。その崖についてゆくと赭土の高い切りどおしで、子供の身たけでは大変高く感じられた崖が左右にあった。その赭土の崖はいつもぬれている、羊歯、苔、りんどうの花などが咲いた。笹もあった。冬は、その赭土のところに霜柱が立ち、その辺の道は、いてついたままのところやどろんこのところや、ひどい難儀をした。汽車を見に、弁当もちで出かける八つばかりの私と六つ、四つの弟たちは、よくこの難所で小さい靴を霜どけのぬかるみに吸いとられて泣いた。靴がぬげたア、と泣くのであった。すると、ついている大人
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