なこんなところ! と、憫笑する人もあった。弟嫁は、まるい黒い瞳を見はって、それらの意見をきき、やっぱりそうなのねえ、と日頃良人である弟のことを信用しなおすのであった。
 上落合に半年ばかり住んだことがあった。国民学校の真上の家で、家を見に行ったときは、学校の庭にコンクリートをうっているときで、子供らは一人も外でさわがず、本当に静かだった。そういう事情があると思いもそめず、家賃が手頃なのや一人暮しに快適な間どりの工合やらにひかれて契約した。そして引越したら、二三日で、溌剌騒然たる小学校の賑わいが、別して朗々たるラウド・スピーカアの響きとともに、朝から夕刻まで、崖上に巣をかけた私のしず心を失わした。夜間、青年学校が開かれるようになって遂に苦しさは絶頂に達した。この家は、外部の力で、持てなくなって、友達たちがよりあって、私のいなくなった家を片づけてくれ、私の姿をスケッチした額の下でその家解散の記念写真をとっておいてくれた。
 この家に移ったとき、火災保険の外交員が訪ねて来た。借家だときいて一時に索然とした表情になったが、思い直して動産保険をすすめた。そのとき、東京市内で保険率の少い区の名を云
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