いる。けれども、私はあなたがどんな恨を持っているかは知らなかった。――恨があるなら晴らすのもよかろうが、刃物三まい[#「まい」に傍点]は馬鹿なことだ。今は法律があって、何方が悪いかは役所で調べてくれる。一人人を殺せば……」
お前も死ななければならないからと、頭の中でいいつづけようとし、私ははたと当惑した。吉さは既に女房を殺してい、「どうせその一人はやっちまったごんだ、こうなりゃ、うぬ!」と気張ったら、さてどうしよう。
考えては、寝返りし、寝返りしては考えているうちに、私は体じゅう熱が出たように熱く成った。
こんなことでどうなるものか、成るようにしか成らない。第一、吉さが家にちん[#「ちん」に傍点]入すれば真先に自分の処へ来るものと思うことから滑けい[#「けい」に傍点]ではないか。台所から来るか、二階から来るか、勇敢にばりりと雨戸を引破るか、知れたものではない。来るか来ないか分らないものを十中九分の九まで来ないとさえ知れながら――私は馬鹿女だ!
しかし、村でも到頭人殺しが出るようになったか。(私の頭は何という依估地頭だ!)こそこそ泥棒も滅多にはなかったのに――。村の中で、この夜、村始まって初めての殺人があるかも知れないという状態はせいそう[#「せいそう」に傍点]だ。私の想像はいやに活々して来た。まるで天眼通を授かったように、血なまぐさい光景の細目まで、歴然と目の前にえがかれて来た。これでは、実際あると同じこわさだ。神よ、私に眠りを授け給え!
一晩じゅう、どんなに私が体を火照らせ、神経を鋭敏に働かせ通したか、あけ方の雀が昨日と同じく何事もなかった朝にさえずり出したその一声を、どんな歓喜をもって耳にしたか、私のひとみ[#「ひとみ」に傍点]ほど近しい者だって同感することは出来まい。七時から、十二時まで、私は石ころのようになって眠った。
夕方になって、おみささんが礼に来た。
「何事もなくてまあよかったわね、どうしていて? その吉さというのは……」
おみささんは、変に極りのわるいような、口惜しそうな、ぷりぷりした調子で素気なく答えた。
「ほんに、何ちゅう人たちだら……今朝ねあなた、お宅からかえって、そうっとまた裏の窓からのぞいて見たら……寝てるじゃあござせんか」
「へえ……それでそのおきみっ子は? 逃げているの、やっぱり」
「寝てますのよ! 一緒に寝てますのよあな
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