ほころばせ、様子をうかがっていると、重吉は、突嗟にひろ子の云った言葉の意味がわからなかったらしく、唐紙のむこうで、居ずまいを直す気勢であったが、程なく、
「――なアんだ!」
笑い出した。
「そんな柄でもないだろう」
じきにまた、キュキュ音がしはじめた。――
ひろ子には、タミノがこれから経てゆくであろう一つの階級的な立場をもった女としての一生が、自分の経験するよろこび、苦しみの一つ一つと、情熱的に結び合わされたものとして感じられるのであった。
重吉が検挙されてひろ子も別の警察にとめられていた時のことであった。ひろ子は二階の特高室の窓から雀の母親が警察の構内に生えている檜葉《ひば》の梢に巣をかけているのを見つけた。
ひろ子は覚えず、
「マア、可哀想に! こんなところに巣なんかかけて」
と云った。するとそこにいあわせた髭の濃い男が、
「なに可哀想なもんか! 安全に保護されることを知ってるんだよ」
そう云って、ジロジロひろ子を上へ下へ見ていたが、
「君なんぞも子供を一人生みゃいいんだ。さぞ可愛がるだろうな、目に見えるようだ」
ひろ子は、その男の正面に視線を据えて、
「深川をかえして下さい」
そう云った。男は黙りこんだ。
ひろ子がそこから帰って、託児所へ住むようになったばかりの夏の末、お花さんの友達が現場で大怪我をして病院にかつぎこまれたことがあった。
ちい坊を託児所にあずかって、下の四畳半へねかしたまま、団扇《うちわ》で蚊を追い追い、ひろ子はそのわきで本を読んでいた。やがて眼をさましたちい坊は、泣き出してどうしてもだまらない。鼻のあたまに汗をかいて泣きしきるので、ひろ子はああと思いつき、その思いつきに自分で嬉しがりながら、
「さア、これでどう? ちい公もこれじゃ泣けまい?」
そう云いながら白いブラウスの胸をひろげて、ひろ子は自分の乳房を泣いている赤坊の口元にさしつけた。ちい公は、その時分からしなびて、顔色や足の裏の血色がわるい児であったが、ほそい赤い輪のように口をひろげ、さぐりついてやっとひろ子の乳首をふくんだかと思うと、すぐ舌でその乳首を口の中から圧し出して前より一層激しく泣きたてた。三度も四度もひろ子はそれをくりかえした揚句、到頭あきらめて自分も困ってききわけのある子に云うように挨拶した。
「いやじゃあこまったことね。――でも小母ちゃんがわるいんじ
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