、山岸は笑っておだてるようなことを云った。それも、ひろ子の顔を屈辱で赧《あか》らめさせた。山岸がひろ子を後で喋らせなかったのは、すれきった彼の政治的な技術なのであった。
広い改正道路へ出る手前に新しく架けられたコンクリートの橋があった。片側通行止で、まだ工事につかったセメント樽、棒材、赤いガラスをはめこんだ通行止の角燈などがかためて置いてある。人が通れる日向《ひなた》の歩道の上で、茶色ジャケツにゴム長をはいた七つばかりの男の児と絣の筒っぽに、やっぱりゴム長をはいたいがぐり頭の同じ年頃の男の児とが、独楽《こま》をまわして遊んでいる。二つの小さい鉄独楽が陽に光りながら盛に廻っているぐるりをめぐって、繩をもった二人の男の児は、シッ、シッ、唾を飛ばしながら力一杯に繩をふり、自分の独楽に勢をつけ、横を何が通ろうが傍目もふらない。その様子を見るとひろ子はなおさら、今出て来た会合と自分に腹が立った。
歩調をゆるめて腕時計を見、ひろ子は一層おそく歩きながらハンドバッグをあけて、中仕切を調べた。一週間ばかり前に裁判所へ行って貰っておいた接見許可証は、四つに畳んだ端がささくれたようになって入っている。十銭、五銭とりまぜの財布の口をしめ、ひろ子はもう一遍首をかしげるような恰好をしたが、時計を見直すと、今度は地味な黒靴をはっきりとした急ぎ足になって停留場に向った。
重吉が市ケ谷の未決に廻されたのは、半年程前のことであった。警察には十ヵ月以上置かれた。はじめ半年ばかりの間は、ひろ子まで警察に留められていたのでもとより会えず、ひろ子がかえってからも、重吉への面会は許可されなかった。重吉が未決にまわったことがその日の夕刊でわかって、裁判所へ初めて許可を貰いに行った時、ひろ子は予審判事にこう云われた。
「警察では自分の姓名さえも認めておらんのだから、深川重吉という人物は謂わばいるかいないか分らんようなものだ。然しマア、いろいろの証拠によって、こちらには分っていることだから許可します」
重吉は白紙で送られているのであった。
終点から引返しになるそこの電車は空いていた。日の当る側の座席を選んで四角な大きい白木綿の風呂敷包をわきにおいて腰かけ、それに肱をかけながら長くのばした小指の爪で耳垢をほじったりしているモジリの爺さんのほか、乗客はまばらである。前部のドアの横に楽な姿勢でよっかかっている年
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