《しゅす》足袋の足を片組みにして、
「女ばっかりだって、そうそうつけ上って貰っちゃこっちの口が干上るからね。――のかれないというんなら、のけるようにしてのかす。洋服なんぞ着た女に、ろくなのはありゃしねえ」
いかつい口を利きながら、眼は好色らしく光らせた。スカートと柔かいジャケツの上から割烹着《かっぽうぎ》をつけ、そこに膝ついているひろ子の体や、あっち向で何かしているタミノの無頓着な後つきをじろり、じろり眺めて、ねばって行った。いやがらせでも始めたか。畜生! という気もあって、ひろ子は六畳の小窓を急に荒っぽくあけて外を見おろした。
夜露に濡れたトタンが月に照らされている、平らに沈んだその光のひろがりが、ひろ子の目をとらえた。見えないところで既に高く高くのぼっている月の隈《くま》ない光は、夜霧にこめられたむこうの原ッぱの先まで水っぽく細かく燦《きら》めかせ、その煙るような軽い遠景をつい目の先に澱《よど》ませて、こわれた竹垣の端に歪んで立っている街燈が、その下に転《こ》ろがっている太い土管をボンヤリと照し出している。夜霧にとけまじった月光と、赤黄く濁った電燈の色とは、そこで陰気な影を錯雑させている。
貧しく棟の低い界隈の夜は寝しずまっている。ひろ子はそのまま雨戸をしめようとしたら、こっちの庇の下からいそいで男が姿を現した。足より先にまず顔をと云いたげに体を斜《はす》っかいに運んで二階の窓を振仰ぎながら、手をふった。細面の顔半面と着流しの肩に深夜の月は寒そうで、ひろ子は窓の奥から眼を見はったが、
「なアんだ!」
お前さんだったのかという声を出した。それを合図に待っていたらしく、寝床に起き上っていたタミノが手をのばして、電燈をひねった。俄《にわか》の明りで、タミノは眠たい丸顔を一層くしゃくしゃさせた。
「大谷さん?――何サ今ごろんなって」
寝間着の前をはだけ、むっちりしたつやのいい膝小僧を出したまんま腹立たしそうに呟いた。
「用事だったらまた起すから寝てなさい、よ、風邪ひくわ」
片隅によせあつめものの古くさいテーブルなどが置いてある三畳の方から、急な階子段がむき出しに下の六畳へついている。ひろ子は暗がりの中を手さぐりでそこの十燭をつけ、間じきりの唐紙ははずしてある四畳半をぬけ、流しの前へ下りた。節約で、台所の灯はつけてない。水口の雨戸の建てつけが腐っているところを
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