クトオが日本へ来て、詩人堀口大学氏にあちこち案内せられ、後《のち》かえって発表した日本印象記をよんで痛感した。コクトオがたった一人で足にまかせて東京を歩いたとしたら、或はもう少し彼の生きた目が生きた日常の現実にぶつかり、日本の民衆の姿が映ったかもしれない。コクトオは或る意味で才能をもった詩人と云われているのであるが、彼の日本印象記は、おさだまりの日本印象記であった。彼は、自身のカリケチュアを私共に示した。私共は私共の現実の中に生き、その悲喜を生きている。コクトオやスタンバアグが大川端の待合で、或る気分を日本的と陶酔する姿を、苦しい笑いでこちらから見物せざるを得ないではないか。
 日本の芸術家が、いつしか外国人が目して日本的と称する範囲の中に一九三〇年代の複雑な日本を単純化して、外来客に見せる追随主義は、例えば、アメリカの戯曲家エルマー・ライスを山本有三氏邸に招待した饗応ぶりにも現れていたと思う。そこではすべてが善意と礼儀ぶかさからとり行われ、京都からの生香魚料理万端よろしいのであるが、有三氏は、どちらかというと片苦しげに想像される客間での会話で、この麗わしき天然の日本では、彼自身の長篇
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