前に広重の絵のような駅の様子や馬方の大福をかじって戻る茶店なんかがひろがって行く。さしあたって行くところもないんだしするから、女の身でやたらに行きたがったってしようがないって云うことは知って居る。けれども、あの草いきれのする草原の中をサヤサヤと云わせながら歩く時の気持や、田舎家によって冷い水をもらう時のうれしさなんかを思うとすぐとんで行きたいようにまでなる。
 なまじ一度、そんなのんきな、さっぱりした男のような旅をした私はその味をしめてなかなか思いきれない。
 私はいきなり母の前に坐って
「母様、どこか旅させて下さいまし」
 まのぬけたような調子で云った。
「またはじまった」
と笑ってとりあってくれない。自分も一緒に笑いながら口のはたが変な工合に引きつれるような気がして私はなき笑をして居た。
 落つかないフラフラした糸のきれたフーセンみたいな気持は御ひる前いっぱいつづいた。私は机にすわっていろんな人の紀行文や名所話なんかをよんで自分が出かけたような気持になって居た。
 御ひるはんの時、「男だったら、どこへだって出られるんだけれども」とこんな事をかんがえながら、夢中でラッキョーの上にのって居たまっかいとうがらしを思いきりよく頬ばってしまった。口の中と目玉はひっくりかえりそうになってくしゃみが出はじめた。
「下らない事をかんがえ込んで居るからさ」
 母はニヤニヤしながら、私のちんころがくしゃみしたようなかおを見て居る。この唐がらしは随分見っともいいかおになったけれども私の頭をはっきりとさして呉れた。もし御ひるにこれがなかったら、私は一日中旅に出たい、と云う病気にとりつかれて居たかも知れない。
 御ひるっからは私の頭が大変しずかになったんで、徳川時代を書く事と「聖書」、「歴史攻究法」、「世界文学史」を読む事は落ついてする事が出来た。もうすっかり旅に出たいなんて云う事は忘れたようになってしまった。
 成井先生のところから暑中の御見舞を下さった。早速御返事を出して置く。まだ手紙を出さなくっちゃあならないところが沢山あるんだのにと思ったけれども気が向かないからやめた。
 古い『新古文林』に出て居る本居宣長先生の「尾花が本」と楽翁コーの「関の秋風」をうつして置く。夜は父から希臘の美術の話をきいた。それから法隆寺模様の特長と桃山時代の美術の特長とを文様集成を見て知った。



底本:「宮本百合子全集 第二十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年5月20日初版
   1986(昭和61)年5月20日第5刷
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2010年3月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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