匿《かくま》う穴や、小道の多い東京へまた戻る決心をした。
 もう再び踏まぬかもしれぬ土地と離れるときに、せめて父親にでも会って行きたかった。監獄の門まで行ったことさえあった。が、考えて見れば、「公明正大」とあんなに書いてよこした彼が、赤衣を着、鎖につながれた姿を見ることは、また見せることは互に、何という辛いことか、たとい冤罪にしろ(庸之助は冤罪という字を見ると、心がグーッと圧しつぶされた。)余り苦しすぎる。恐ろしい。とうとう面会を断念して彼は、僅かでも二人の間に、「何がほんとだか解らないもの」を置きたかったのである。
 東京へ一足踏み込むと同時に、すべてを諦めてどこかの職工にでもなろうと思って来た、彼の心は動かされた。名誉心、功名心を刺戟するあらゆる事物が、年若い彼を苦しめ、虐《さい》なんだ。自分よりもっともっと学問のない、力のない者まで、社会の表面で相当に活動しているのを見ると、今更自分をさほどまでに見下げることも、躊躇《ちゅうちょ》された。たといのろのろとではあっても、周囲の若い者達が出世の道をはかどらせているうちに、自分一人わざと取り残される必要もなく思えた。
 木賃宿に近いほど
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