は、妙な心持がした。辱かしめを受けているような、また安心と不安の入混った心持になっていた。
「庸さんには、絶対にそんな心配は無用だ!」
 浩はそれだけで満足していたかった。けれども、それを許さない、自分自身の心の経験を持っていたのである。
 限られた僅かばかりの金で、自分が望んで望んでいた本を買う。これと、これとを買いたいのに、持っている金では一銭足りないというとき――ほんとに持っている人から見れば、金銭という感じを起させられないほど僅かな一銭――、自分の心のうちには、実に言葉で表わせないほどの心持が起る。「文字」を尊重している彼は、著者がそれを完成するまでに注いだ心血を思うと、よほど法外だとでも思ったときのほか、価切《ねぎ》るということが出来なかった。古本屋――彼は新本を買うだけの余力を持たない。――に対しては、或る点からいえば馬鹿正直だともいえるけれども、彼の心は、或る人の本を見ると、真直ぐにそれを書いた人自身に対する尊敬となり同情となったのであった。で、彼は、そのどうしても手離さなければならない一冊の本を持って、一面理智の監視する前で、漠然とその足りない一銭の湧いて来ることや、主
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