のと転んだのと一緒になったのだといった診断が、ほんとらしくあった。皆が気にやんでいた中風のようにもならずに済んだことが、何よりであった。床を離れて、二三日してから孝之進は足試しに、電車に乗らずに行ける高瀬まで出かけてみた。足の方は何でもなかったが、妙な一つの現象を発見した。それは彼が高瀬の主婦に乞われるままに、お咲の所番地を書こうとしたときである。「――区――町――」孝之進は、すかすような容子で、几帳面な字を書き出した。このとき、フト彼は浩のことを思い出した。彼の目が三白なことが頭に浮んだ。三白の子は昔なら、生かして置けないといったものだと思うと、不意に手頸の力がぬけて書いていた字の下に、細く太い汚点をつけた。考える方に妙に体中の力が吸い取られて、手の方がだるいようになると一緒に、ガクンと骨が脱《と》れたように、感じたのである。孝之進は、思わずハッとした。が別にどうしようもない。何も思わないようにして、書きあげてはしまったものの底の底まで気が滅入った。彼はそこいら中、ガタガタになって、死んで行く自分の姿をまのあたり見せつけられたようで、非常に厭な気持がした。
一二度外出をしてから、孝之進は早速帰国の仕度をした。そしてようよう汽車賃ほか遺らない中から、薬代を払おうとして、きっと浩が済ませたに違いない受取りを出されたとき、彼は思わずも溜息を吐《つ》いた。心のうちではどこまでも自分をいたわってくれる息子に対しての感謝で一杯になっていたが、彼の装い得る最大限の平然さをもって、「そうか」と云ったまま、さっさと受取を懐へ押し込んでしまった。翌朝彼は起きぬけに帰国の途に着いた。
十二
国へかえるとすぐ、孝之進はM家の金の談判を始めた。けれどもなかなか埒《らち》が明かない。東京の商業学校を卒業して来て、西洋風の机に向い、西洋風な帳面と字で、一家の経済を切りまわしている若い主婦を始め、主人まで、出来るだけ孝之進をはぐらかしにかかっているように見えた。主人は何ぞというと、「時世というものは面白いもんですね、何にしろあなたがこういう用事で家へ来なさるんだから……」と云った。これが孝之進の気にグッと触った。二三度はこの言葉を聞くと、そこそこに座を立ってしまったが、相手の策略がだんだん飲みこめると、孝之進もその手には乗らなかった。が、何にしろちょっとしたことまで東京の
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