辛いらしい。細い体中をこわばらせ、ほとんどもがくように動く、浩は少しびっくりした。そして、多大の興味をもって観ているうちに、更に驚くべきことを発見したのである。この名も知れない一匹の小虫は、二つに裂けて見える胴体の最終部から、目にも見えないような卵を生みつけていたのである。
 毛筋ほどの脚を延ばしきり、体を燭《しょく》の柄のように反らせ、この小虫にとっては、恐らく無上の苦痛を堪えながら、完全に責任を果そうと努力しているらしい様子を見ると、浩は一種の厳粛な感動にうたれた。
 暫く静かにしていた虫は、また急に痙攣的に体中を震わすと、少し位置をかえて鎮まる。見れば薄茶色の、ペン先で作った点ほどの卵が、そこに遺っている。今にも捨てられてしまうかもしれない一片の古紙の上に、小虫は全精力をそそぎ尽してしまうほどの努力をもって、大切な子孫を遺そうとしているのである。すぐ捨てられるかもしれない紙の上に……。浩は「大自然の意志」が、あまり歴然と今自分の、この目前に示されているようで正視するに堪えない心持になった。悲壮な、また恐ろしい有様である。
 小虫も、もうじき死ぬのだろう。卵もすぐ紙ぐるみ、何のこともなく捨てられないとは、決していえない。けれども、今こうして小虫は、それらの一つも考えず、自然の命ずるがままに、勇ましい従順さで任務を果そうとしている。
 言葉にまとまらない雑多の感情が、あとからあとからと彼の心に迫って来た。浩は何だか、この一匹の小虫の前に――或る時は彼等の存在することにさえ頓着なく過してしまい勝なこの小虫の前に――自ずと頭の下る心持がしたのである。
 各自の子孫に対して持つ精神過程は、すべての生物が全く同一なのだ――たとい自意識のあるないの差はあっても――と思うと、浩はあらゆるそのときの親というものがいとおしいように感ぜられた。「親馬鹿」になるはずだと思われた。ならずにはいられないように、命ぜられているのだと、或る点まではいえる。浩は何だか妙な心持がした。善種学を人間が考える根本の心持が、痛切に感じられると同時に、どうせ結局は生活の敗残者とならねばならないように見える、体力にも智力にも適者となる素質の乏しい人までが、自分自身ようようよろめきよろめき歩きながらも、親という位置にほとんど無意識に立っている心持が可哀そうになった。
 すべてが大自然の意志である。日が輝やき
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