しても意地が承知しなかったのである。そのかわり、浩からの便りは、たとい一片の端書でも、彼は目で読むというより、むしろ心全体で含味するというほどであった。紙の表から裏まで、繰返し繰返しとっくりと見る。考える。批評して「なかなか生意気なことを書きおるわい」と思うと、我ながらまごつくくらい涙がやたらにこぼれる。そして誰が何とも云いもしないのを、「年をとると、とかく目が霞む、目が霞む」と、自分に弁解していたのであった。
 浩の方でも、このごろになっては父親がどんな心持でいるかというのを、すっかりさとっていた。孝之進あてにした手紙でも、為替でも、皆滞りなく受取られるのを思うと、嬉しいながら、妙に頼りない心持がした。どうにかして、もう僅かばかりらしい余生を、せめて楽にでも送らせて上げたいと、しみじみ感じた。けれども、自分の最善を尽したより以上のことを、望むことはとうてい出来ない。特別の報酬を得る目的で、夜業などをすることさえあった。

        十五

 どんなに案じようが歎げこうが、咲二の奇癖はつのって行くばかりである。度重るうちには、自然と他人にも見つかって、噂が噂を産んだ。そして、平常孝之進が、幾分尊大なところから、あまり好意を持っていない者などは、畜生のようだなどとまで云った。お咲にとっては、それが何より辛かった。子供の行末のために、解けない呪咀《じゅそ》が懸けられるような気がした。また時にはほんとに、誰か呪釘でも打っているのではあるまいかと、人知れず鎮守の森やお稲荷さんの樹木などを一々見てまわったりさえした。が、もちろんそんなはずはない。咲二が可哀そうなのと、悪口を黙って堪えていなければならない口惜しさに、お咲はジッとしていられないほどに心をなやました。心配しぬいた揚句、皆はとうとう「かげの禁厭《まじない》」――むしの禁厭――をさせることにした。禁厭使いの婆は七十を越して、腰が二重になっている。白い着物に、はげちょろけの緋の袴、死んだような髪をお下げにしている、この上なく厭な彼女の姿は咲二を異常に恐れさせた。
「お祖母ちゃんの、鐘から出て来たお化けだよーッ! 僕いや、母さん! 僕こわいよーッ!」(咲二は、おらくが一日に度々鳴らす仏壇の鐘の音を、この上なく厭がっていた。そして実際、彼の異様な神経は、その音響から自分の想像している化物の姿を見るようでもあった。)
 
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