いくつもの夜の間に柔かい毛布の毛なみに絡みはこばれて、ひろ子のところへ来ている。あの重吉の髪の毛と思えば、その一本一本がすてかねて、ひろ子は何だかそぐわないような、内心に熱火したようなもつれた心持ちで、その一つ一つをひろいあつめて行った。ひろ子の左手の拇指とひとさし指との間にはすぐに小さい短い男の髪たばがあつめられた。だが、考えてみれば、妻である女が、良人の体として現実にこの手でふれられるものと云えば、たったこの偶然によってはこばれて来ているおち髪だけだという事実、これは何と妙なことだろう。何と奇妙な人間の生活にあるらしくもないことだろう。
 桐の青葉が葉うらをかえしてそよぐ快活な六月の日本晴の空は頭上にあって、小さな良人の髪の毛たばをしっかりと二つの指の間にもって物干しの上にいるひろ子の躯を、太陽の暑さと逆流する感覚が走った。まるむきにされている乙女のひきつったような黒い大きい二つの目は、その感覚のなかで次第に遠く遠くと去りゆくのであった。



底本:「宮本百合子全集 第五巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第四巻」河出書房
   1951(昭和26)年12月発行
初出:「文芸集団」(名古屋帝国大学医学部学生の同人誌)
   1939(昭和14)年第1号
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年4月22日作成
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