ゃないかと思って」
「まさか!」笑い声の中から、小枝子が、
「現実に、ひる間つとめて家へかえれば疲れているんですからね」と云った。
「机にきちんと向わなければ読めないんだったら、私たちのようにして暮しているものは結局一冊の本だってよめやしないと云うことになるんです」
 顔の内側に明るく燃え立っているものがあるような表情で小枝子はそれを云うのであった。
 多喜子たちが卒業した女学校の専門部で文明史を教えていた教師の一人が、イタリーの方へ交換教授のようにして行くことになり、その送別会があった。出席した同級の幾人かは、どちらかというと多喜子のように友達に会いたい方が主で、こっそりこちらのテーブルの端で、
「私戸田先生イタリー語がお出来んなるなんてちっとも知らなかったわ」
「日本語を教えにいらっしゃるんだって。だからイタリー語は出来なくたっていいんでしょう」
 そんなことを、凡庸であった教授ぶりへの感想をもこめて囁きあっている連中がある。形式ばった茶話会がくずれてから、多喜子はヴェランダのところで煙草をすっている桃子のそばへよって行った。
「お嫂さん、小包で送ったりして、何とか云ってらっしゃら
前へ 次へ
全19ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング