で遠ざかってゆくその姿を見送っていた多喜子に向って、手をふった。
シモーヌ・シモンがディアンヌという裏町の娘に扮し、ジェームス・スチュアートが道路掃除夫のチーコになっている「第七天国」という映画も、バーバラ・スタンウィックの出演しているもう一つのも、どっちも背景に欧州大戦時代をとりいれた作品であった。多喜子は並んでいる参吉に、
「何だか古くさいわね」と囁いた。
「うん」
場内が明るくなって、間奏楽の響いているとき参吉は、
「変な工合に現代の空気を反映してるみたいな作品だな」
と云った。
丁度燈火管制の晩であった。二人は市電の或る終点で降りて、一斉に街燈が消され、月光に家並を照らし出されている通りを家まで歩いた。
ふだん街の面をぎらつかせているネオンライトや装飾燈が無く、中天から月の明りを受けて水の底に沈んだような街筋を行くと、思いもかけない家と家との庇合いから黒く物干が聳えて見えたり、いつもとは違う生活の印象的な風景である。とある坂の途中に近頃開拓された分譲地のところへ来ると、彼等は思わずどっちからともなくそこへ立ち止った。
「何て感じでしょう!」
截りたての石で直線に畳まれた新しい石垣の層々の面に隈なく月が灌《そそ》いでいて、柔かい土の平らな湿った黒さ、樹木の濃淡ある陰翳が、燦く石面の白さと調和して、最も鋭敏な|黒・白《ブラック・アンド・ホワイト》の版画の効果で現れている。
多喜子は参吉の腕をじっと自分の胸にひきよせて、息をのむようにこの冷たい、荒い、夜景の美しさに見とれた。
「思い出すわ、私。――ほら、私たちが一緒になって間もなく、大塚の公園へ行ったとき、何かの工事で、やっぱり大きな石がちらかっているところを上から月が照していたことがあったでしょう?」
多喜子は、こんな夜を参吉と歩いて行く心持を足から、眼から、円い輪廓を示し出している体じゅうから味わいつくそうとするようであった。
「おい、大丈夫かい? 月になんか憑かれたって知らないよ」
「大丈夫よ、今度は自信があるんだから」
家の近くの横通りに曲ると、暫くだまって歩いていた参吉が、腕によっている多喜子の手を自分のもう一方の手で持ち添えて、もっと深くかけさせながら、静かに云った。
「――なるたけ俺がよばれないうちに生んじゃえよ、ね」
もっと路が狭くなって、はずれた石の溝蓋《どぶぶた》などがあるところへ来ると、参吉がそんなものを用意しているとは思ってもいなかった懐中電燈を時々つけて、月光が樹の枝々で遮られている多喜子の足元を照らしてやった。
底本:「宮本百合子全集 第五巻」新日本出版社
1979(昭和54)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第五巻」河出書房
1951(昭和26)年5月発行
初出:「新女苑」
1938(昭和13)年1月号
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年4月22日作成
2003年9月21日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全5ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング