いた尚子の丸い顔を思い出すと、多喜子はそこにああいう日暮しの人々の結婚生活というもののかげに潜んでいる非常に恐ろしい、唾棄するようなものが、尚子にも気附かれずのぞき出しているのを感じた。帰りかける多喜子を送って玄関へ出て来た幸治夫婦が、計らずものの拍子でくっつき合った互の肩をそのまま並べ、上機嫌で、
「さようなら」
「じゃまた、御ゆっくりね」
と晴々した声を揃え、多喜子に向って手をふって別れを告げた彼等のもつれあった姿を目に泛べて、一方に何か全く普通の娯楽ででもあるかのように話されたそのことを考え合わせると、多喜子にはそういう人々の生きている感情の奇怪さが迫った。この頃はいつ召集があるかもしれないような事情のなかで、自分たちが本気でそれを守り高めようとして暮している夫婦生活の平凡な真面目さが、何かに嘲弄されているような嫌な気もするのであった。
 北向きの三畳が多喜子の家では仕事部屋になっていて、東の高窓際にミシンがおかれ、仕事テーブル、アイロン台と、順に低い一間の明り窓に沿って並んでいる。赤い三徳火鉢に炭団《たどん》を埋めたのを足煖炉代りにして、多喜子はもって帰った尚子の仮縫いの服の仕事をしていたのであったが、暫くするとそれをやめてテーブルへ置いた。重くてつるつるとしたその絹服の感触が幸治たちの生活の感覚をひっぱっているようで、いじっている気がしなくなったのであった。
 多喜子は腕時計を見て、椅子をおり、台所からもう一つ同じような三徳をもって来た。茶の間の火鉢からおこっている炭団をうつしていると、格子の鈴が鳴って、
「いらっしゃる? あがってよくって?」
 カタ、カタと足からぬがれて三和土《たたき》に落ちる左右の靴の踵の音をさせて、好子が入って来た。
「――小枝子さんもまだだったの? 私おそくなったと思っていそいで来たんだけれど……」
 毎土曜の午後、多喜子は洋裁の稽古をしているのであった。
「狸穴《まみあな》からだから、途中にかかるのよ」
「きょう、お宅は? やっぱりおそいの?」
「夕飯まで図書館へまわって来るんですって。この頃あのひと一生懸命だわ、呼ばれないうちにせめて今やっている分だけでもまとめたいって」
 参吉は或る私立大学の講師をしている傍ら、近代英文学の社会観とフランス文学のそれとの比較をテーマに研究しているのであった。
「うちの伍長さんだって危いもんだ
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