共。
後で聞けば小屋のまとまりのつくまで殆ど半日、垣の隙から、こわらしい眼を光らせて睨んで居たと云う。此の事は家中の者が皆いやがった。
他人の家の仕事に嘴を入れて、いくら世話を焼いて居る者が子供だからと云って、下らない批評などを加えると云う法はない。家を侮辱した事だとか何とか云って居ると、二番目の角力の様な体をした弟が、
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「僕行って云ってやりましょうねお母様。
実にけしからん。
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と頭を振ったり何かしていきりたつので、笑ってすんでしまいはしたけれ共、あんなじゃあきっと銀行でも毛虫あつかいにされて居るのだろうと思うと、旦那様、お父さんと一角尊がって居る家の者達が気の毒な様にもなったりした。
極く明けっ放しな、こだわりのない生活をして居られる私共は、はたのしねくねした暮し振りを人一倍不快に感じるので、どうしても裏の家を快活ないい気持なと思う事が出来なかった。
何より彼より、一番大まかで、寛容でなければならない筈の主人が、重箱の隅ほじりなので、事実以上に種々思って居た事が無いでもあるまいと正直なところ思う。
それでも奥さんがピリッとした人なら、するだけの事はうまく感じよくやってのけたかもしれないけれ共、いつもいつも、
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もうもう此ではやりきれない。
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と云う様な根の抜けた目付をして居る様なので、子供はあばれ放題、下女は目の廻るほど呼び立てられて、悪口を絶やした事がない。
どれだけの経済程度なのか知らないけれ共、子供にあれだけの装をさせて置ける位なら、最う少し体の好いちんまりまとまった生活が出来そうなものだがと、思う事がちょくちょくあったりした。
まるで、私の家族とは方面の違った仕事をして居る人達なので、私共の家族が余程変って見えたらしい。夕飯頃帰って来ると、じきに小さい者を対手にふざけたり、唇の間から上手にフルートの様な音を出して皆を面白がらせたりして居る父親も注意を引いたには違いないけれ共、いつでも、少くとも十六の目玉の黒点になって、フッフッと煙を上げそうになって居るのは、私であった。
裏には、私位の女が居ないからとも云えるけれ共、到底私に想像出来ない好奇心を以て、一寸裏にさえ出れば、私の足の出し工合から、唇の曲げ方まで注意して居て呉れる。
パサパサな髪を頭の後でポコッと丸めて、袴を穿いたなりで、弟達と真赤になって、毬投げをするかと思えば、すっかり日が落ちて、あたりがぼんやりするまで木の陰の遊動円木に腰をかけて夢中になって物《もの》を読んで居たり、小さい子の前にしゃがんで、地面に木切れで何か書き書き真面目な顔をして話して居るのを見ると、どうしても、見ずには居られない様に感じられたらしい。殆ど一日居る学校などでは、あんまり人が多勢すぎたり、違った気持ばかりが集って、遠慮で漸う無事に居ると云う様なのがいやなので、あんまり人とも一緒に喋らない様に出来るだけ静かな気持を保つ様にして居るので、かなりゆとりのある自分の家の裏を、暮方本を読みながら足の向く方へ歩き廻ったり、連想の恐ろしくたくましい悧恰な小さい弟を対手に、そこいらに生えて居る菌《きのこ》を主人公にしたお話しをきかせたりするのは真に快い。
室内に座って、頭ばかりいじめ勝なので、十日に一度位、汗の出るほど力の入る毬投げをやるのも、私のためには決して無駄ではないのである。
けれ共、絶えずのぞかれて居るのを知って居ると、いくら私が平気でも気持の好いものではない。
どことなし斯ういやなものである。
その日の前五六日程大変気をつめた仕事をして居たので、久し振りで、庭土を踏んで見ると、頸の固くなったのも忘れるほど、空の色でも、土の肌でも美くしく、明るく眼に映った。
あっちこっち歩きながら、手足をどうにかして動かしたい様な気持になって居た処へ、丁度一番上の弟が毬を持って来て誘ったので、すぐ私は草履を穿いて始めた。
一杯の力を入れて投げてよこす球を身構えて受け取る時、ひどい勢で掌に飛び込む拍子に中の空気を急に追い出すパッと云う様なポッと云う様な音が出る様に互の気が合って来ると、口に云えないほど男性的な活気が躰中に漲って来る。
私は眼をキラキラ輝かせて、まるで燕の様に、私の頭の上を飛び去ろうとする球を高く飛び高[#「高」に「(ママ)」の注記]って捕えた時、今まですっかり忘れて居た裏の家の垣根越しに、
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「君の姉さん上手いやねえ。
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とひやかす様な子供の声が大きく聞えた。
見ると、垣根からズーッと越えて見える部屋の鴨居のすぐ際の処に孝ちゃんと女中が顔を並べてニヤニヤして居る。
一寸眉を寄せたきりで知らん顔をして居る私を、弟はチラッと見たなり返事もしずに投げてよこすので、私も受け答えをして居るうちに又気が入って、まるで二つの顔を忘れて居ると又孝ちゃんの声が、
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「君ーッ。
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と怒鳴るので頭を曲げて見ると、まださっきの処に前の様にして居る。
弟は気の毒らしい顔をした。
孝ちゃん許りなら子供の事だから何と云ったって、かまわないけれ共、二十五六にもなった女まで一緒になって、踏台か何かして、ああやって居るんだと思うと腹が立ってたまらなくなった。
ほんとにいやな女だと思って、クルッと正面を向いて真面目な声で、
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「そんな事をして居るものじゃあ有りません。
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と云った。
何ぼ何でも気が差したと見えて女はすぐ顔を引き下してしまった。
もうそれでいいのだから孝ちゃんに何にも云わなかったけれ共、どうしたらあんな大きな図体をして気恥かしくもなくあんな事をやられたものだろうと、あきれ返ってしまった。
そんな事々が皆奥さんの不始末の様に思えてならなかった。
鶏小屋が裏の家の近くになってから段々一人前になって来た雛が卵を生み始めたので、日に新らしいのが巣の中に少くとも六つ七つ位ずつのこされる様になったので、家では殆ど卵を買うと云う必要がなくなって居た。
都合の好い時などは古くから居る三羽の雌鳥と今度の六羽とで九つ位も生むので、いつの間にか孝ちゃんの親父さんが例の目で見てしまったらしく、どっからか早速三羽の生み鳥と一羽の旦那様をつれて来た。
孝ちゃんの親父さんが真似を始めたと云って、鳥飼いに明るい弟は、面白がって気をつけて居た。
鳥が来てから鳥屋《とや》を作ったり、
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「餌は米ばっかり食うのかな。
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などと云って居るのを聞いて、
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「あれじゃあ食い潰される。
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などと云って居た。
日曜を一日、孝ちゃんの助手で作りあげた小屋には戸も何にもなくって、止り木と、床の張ってある丁度蓋のない石油箱の様なものでその三方を人間のくぐれそうな竹垣が取り巻いてある許りだった。
猫や犬の居ない国に行った様な、何ぼ何でもあんまり寛大すぎると、家の者は皆明かに生命の危険が迫って居る処に入れられなければならない鶏の若い家族を同情して居た。
それでも案外なもので、猫も犬も掛らなかったらしいが、食物のせいか、あんまり運動が不足だったのか、幾日経っても卵のタの字さえ生まないので親父さんの内命を受けて遊びに来た孝ちゃんがどうしたのだろうと、家の鳥博士にきき出した。
新らしい鳥屋に入ってそこに馴れるまでは卵は生まないとか、たまには泥鰌《どじょう》の骨を食べさせて、新らしい野菜をかかさない様にと教えてやったそうだけれ共あんまり功はなかったらしい。
段々庭の様子に馴れて来た鳥はせまい竹垣の中では辛棒が仕切れなくなって大抵の時は、庭中にはねくり返って、縁側が土だらけになったり、食事をして居ると障子の棧の間から四つの首をそろえて突出したりする様になったので、日暮れに鳥屋に追い込む時の騒と云ったら、まるで火事と地震が一度に始まった様であった。
あんまり時間も早すぎるのだけれ共、あっちこっちと逃げ廻る鳥の早さに追いつけないので、二人の子供と女中と清子が裸足になって、
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「あらあら、そっちへ行きましたよ、
早くつかまえて下さい。
ああ、もう逃げちゃった、駄目じゃあありませんか坊っちゃんは、
鳥が来ると、貴方の方で逃げ出すんだもの。
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などと云って馳け廻って居る。
鶏の方で此方に飛んで来ると、キーキー悲鳴をあげて跳ね上ったり、多勢声をそろえてシッシッと云ったりするので、切角鳥屋に入ろうとするとはおどしつけられて、度を失った鶏達は、女共に負けない鋭い声をたてながら木にとびついたり、垣根を越そうとしたりして、疲れて両方がヘトヘトになった時分漸う鳥屋の止木に納まるのである。
その頃には鳥は大切[#「切」に「(ママ)」の注記]明き盲になってからの事である。その何とも云えない滑稽な芝居を遠くの方から眺めると、大小四人が鶏を相手に遊んで居る様である。
又、実際一日中追い立て追い立て仕事にいそがしい女中や清子は、この位の公然な遊戯時間でも与えられなければ浮ぶ瀬もないわけである。
キーキー、コケコッコと云うすさまじい声が聞え出すと、家の者は、
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「いよ、始りですかね。
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などと云って笑った。
かなりの間は、恐ろしく不安な生活をさせられて居る鳥達もどうやら斯うやら息才[#「才」に「(ママ)」の注記]で居たが、一羽大きな牝鶏がけんかの拍子に眼玉を突つかれたなり、生れもつかない目っかちになったと云う大事変が孝ちゃんの家中を仰天させてしまった。
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「入目をさせて、眼鏡を掛けりゃ一寸ごまかせますよ。
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などと戯談を云って居たが、その事があって間もない時孝ちゃんの妹が家に遊びに来た。
上の弟は、鳥にお菜をやりながら云い出した。
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「君んとこの鶏が突つかれたって。
「ええそうなのよ。
「どれがつついたの。
「兄さんの。
「兄さんのって、どれ?
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小さい娘は、すかして見ようとして垣根際によって行ったけれ共分らなかったと見えて、
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「黄色い様な肥ったの。
兄さんの鳥はひどい事ばっかりするんですもの、
私いやんなっちゃうわ。
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と云って、年頃の娘でもする様に袂の先を高くあげて首をまげて居る。
何か考えて居ると見えて、薄い髭の罪のなく生えた口元をゆるめてニヤツイて居た弟は、
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「めっかちになったんじゃ困るやね。
あのね、今先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐ家へ行って、庭中さがして御覧、
きっと、その眼玉がおっこって居るから。
それをよく洗って入れてやればきっと元の様になる事うけ合だ。
ね、
早く行ってさがして御覧。
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と云うと、しばらく解せない様な顔をして居た娘は、決心がついた様に、
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「ええ私さがして見るわ。
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と云うなり袂を抱いて転がりそうにかけて帰った。
どうしてもなくなった鶏の眼玉をさがし出さなければならないと思った小さい子は、可哀そうに顔を真赤にして、木の根の凹凸の間から縁の下の埃の中までかきまぜて一粒の眼玉をあさって居た。
弟は其れをだまって見て居たらしい。
ややしばらくたってからさがしあぐねた子が、
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「見つからないわ。
どうしちゃったんだろ、
私困っちゃうわ。
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と鼻声になって弟に訴えると、
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「ほんとにそりゃあ困るな。
そんなら何なんだろ、
きっと、こないだの晩の雨でながされちゃったんだよ。
きっと今頃は品川のお台場にのってるよ。
何にしろもうだめだよ。
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