それでも案外なもので、猫も犬も掛らなかったらしいが、食物のせいか、あんまり運動が不足だったのか、幾日経っても卵のタの字さえ生まないので親父さんの内命を受けて遊びに来た孝ちゃんがどうしたのだろうと、家の鳥博士にきき出した。
 新らしい鳥屋に入ってそこに馴れるまでは卵は生まないとか、たまには泥鰌《どじょう》の骨を食べさせて、新らしい野菜をかかさない様にと教えてやったそうだけれ共あんまり功はなかったらしい。
 段々庭の様子に馴れて来た鳥はせまい竹垣の中では辛棒が仕切れなくなって大抵の時は、庭中にはねくり返って、縁側が土だらけになったり、食事をして居ると障子の棧の間から四つの首をそろえて突出したりする様になったので、日暮れに鳥屋に追い込む時の騒と云ったら、まるで火事と地震が一度に始まった様であった。
 あんまり時間も早すぎるのだけれ共、あっちこっちと逃げ廻る鳥の早さに追いつけないので、二人の子供と女中と清子が裸足になって、
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「あらあら、そっちへ行きましたよ、
 早くつかまえて下さい。
 ああ、もう逃げちゃった、駄目じゃあありませんか坊っちゃんは、
 鳥が来ると、貴方の方で逃げ出すんだもの。
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などと云って馳け廻って居る。
 鶏の方で此方に飛んで来ると、キーキー悲鳴をあげて跳ね上ったり、多勢声をそろえてシッシッと云ったりするので、切角鳥屋に入ろうとするとはおどしつけられて、度を失った鶏達は、女共に負けない鋭い声をたてながら木にとびついたり、垣根を越そうとしたりして、疲れて両方がヘトヘトになった時分漸う鳥屋の止木に納まるのである。
 その頃には鳥は大切[#「切」に「(ママ)」の注記]明き盲になってからの事である。その何とも云えない滑稽な芝居を遠くの方から眺めると、大小四人が鶏を相手に遊んで居る様である。
 又、実際一日中追い立て追い立て仕事にいそがしい女中や清子は、この位の公然な遊戯時間でも与えられなければ浮ぶ瀬もないわけである。
 キーキー、コケコッコと云うすさまじい声が聞え出すと、家の者は、
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「いよ、始りですかね。
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などと云って笑った。
 かなりの間は、恐ろしく不安な生活をさせられて居る鳥達もどうやら斯うやら息才[#「才」に「(ママ)」の注記]で居たが、一羽大きな牝鶏がけんかの拍子に眼玉を突つかれたなり、生れもつかない目っかちになったと云う大事変が孝ちゃんの家中を仰天させてしまった。
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「入目をさせて、眼鏡を掛けりゃ一寸ごまかせますよ。
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などと戯談を云って居たが、その事があって間もない時孝ちゃんの妹が家に遊びに来た。
 上の弟は、鳥にお菜をやりながら云い出した。
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「君んとこの鶏が突つかれたって。
「ええそうなのよ。
「どれがつついたの。
「兄さんの。
「兄さんのって、どれ?
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 小さい娘は、すかして見ようとして垣根際によって行ったけれ共分らなかったと見えて、
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「黄色い様な肥ったの。
 兄さんの鳥はひどい事ばっかりするんですもの、
 私いやんなっちゃうわ。
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と云って、年頃の娘でもする様に袂の先を高くあげて首をまげて居る。
 何か考えて居ると見えて、薄い髭の罪のなく生えた口元をゆるめてニヤツイて居た弟は、
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「めっかちになったんじゃ困るやね。
 あのね、今先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐ家へ行って、庭中さがして御覧、
 きっと、その眼玉がおっこって居るから。
 それをよく洗って入れてやればきっと元の様になる事うけ合だ。
 ね、
 早く行ってさがして御覧。
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と云うと、しばらく解せない様な顔をして居た娘は、決心がついた様に、
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「ええ私さがして見るわ。
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と云うなり袂を抱いて転がりそうにかけて帰った。
 どうしてもなくなった鶏の眼玉をさがし出さなければならないと思った小さい子は、可哀そうに顔を真赤にして、木の根の凹凸の間から縁の下の埃の中までかきまぜて一粒の眼玉をあさって居た。
 弟は其れをだまって見て居たらしい。
 ややしばらくたってからさがしあぐねた子が、
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「見つからないわ。
 どうしちゃったんだろ、
 私困っちゃうわ。
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と鼻声になって弟に訴えると、
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「ほんとにそりゃあ困るな。
 そんなら何なんだろ、
 きっと、こないだの晩の雨でながされちゃったんだよ。
 きっと今頃は品川のお台場にのってるよ。
 何にしろもうだめだよ。

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