もない頃佐々泰造が、おどろいたように、
「砂場嘉訓という男は、一風変っているね、金勘定をしらないらしいよ」
といったことがあった。
「まさか」
多計代が、否定した。
「あれだけ苦学までした人間じゃありませんか」
「若いときは、それゃ苦労したろうが、とにかく、日本の金の勘定はよくわからないらしい」
泰造と一緒に出かけて、食事の支払いにけたちがいの金を出し、それを注意したら、金の勘定は不得手だからたのむと、札入れを泰造にまかした、というのであった。誰と歩いても、砂場と歩いたひとは、みんなそういうことを云った。
日本金の勘定を覚えない砂場嘉訓は、佐々夫婦の肖像を描くこともなかなか実現しなかった。
「砂場嘉訓て、ああいう人間だったと見える」
そういって、多計代は、砂場が、佐々に紹介される知名の実業家や富豪などの肖像を、どんな高い画料で描いているかというようなことばかり話す、と伸子に告げた。
「あてにする方がばかなんだろう。なにがなんだかわかりゃしない」
砂場嘉訓は日本へ帰ってからはいわゆる画壇というものには余り接近せず、じかに、上流の依頼者へ結びついて行った。フランス絵画の影響のつよ
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