画家であった。しなれない日本流の立礼を、特にこの夫人には丁寧にするという風で、膝を少しかがめて辞儀をした。
「佐々先生、まだかえられないですか?」
「まだですよ、あなた、事務所へ電話をかけていらっしゃいましたか」
「ええかけました。じきかえられるということでした。伸子さん、しばらく」
ひらいた長い二つの脚の間に腹をおとすような姿勢で煖炉まえのベンチにかけた砂場嘉訓は、伸子に向って大きい右手をさし出した。
伸子が小さかったとき、砂場嘉訓は山陰の奥から上京した日本画の画学生であった。袂のある絣のきものを着て小倉の袴をつけた砂場嘉訓は、伸子のうちの客間の真中に文晁《ぶんちょう》の懸物をひろげ、わきに唐紙をのべて、それをうやうやしく模写をしていた。小さかった伸子は時々廊下づたいに客間へ行って、どこか子供をおとなしくさせるような雰囲気のあるその場の光景をのぞいた。
それからほどなく、どういういきさつをへたのであったか嘉訓はロンドンへ行った。パン、ミルク。たったそれだけの言葉しか知らなかった嘉訓は、不自由なところは得意の絵物語でおぎないながら、ロンドンの美術学校を卒業し、やがて日本の文展に純
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