子の上で背中をのばすようにした。
「実は、いまもちょっと、迷っていることがあるんです」
雑誌社を経営しながら、その人は代議士に立候補する気があったり、伸子などのしらない政治的な活躍の場面ももっていた。
「木下さんは、気が多いんだもの。問題は多いでしょう。なれているくせに」
「――それがね、こんどのはちょっと大きいんでね」
木下は、柔軟さとがんこさとのいれまじった蒼い角顔をすこしうつむけるようにして、黒い、憂鬱なところのある眼を上眼にした。
どっちみち、本気な話にはならないその問題というのにたいして、伸子はふっと面白いことを思いついた。伸子は改ってきき直した。
「木下さん、本当に、それは重大な問題なの?」
「――私としては重大ですね。少しおおげさにいえば一生の浮沈にもかかわりますね」
「じゃあ、いい智慧をかしてあげましょう」
伸子は立って行って、地袋の写真帖の上から一冊の薄い冊子をもって来た。その表紙には、黄色い地に一平の漫画が色ずりになっていた。
「何です?」
木下は、それを手にとった。
「運命判断……へえ。こんなものが、ここにあるとは思わなかった」
「それは特別なの、実にあらたか[#「あらたか」に傍点]なの。わたしの運勢は、実によく当りました。あなたもびっくりなさることよ」
机の引出しから半紙をもち出して、伸子はそれを、ほそい紙片にさいた。幅一寸ばかりの紙きれを、つばでしめして、鼻の先へはりつけ、その運命判断の、数字ばかり四角いコマに印刷してある見開きの頁の上に顔をさし出してフーオン・コロ・コロのフン、といって、その紙きれをふきとばす。紙片の落ちた数字にしたがって、その項をあければ、そこにその運命判じの漫画の答は出ているというしくみであった。
「へえ……奇妙な占いがあるもんだな」
そう言いながら、木下は鼠色の背広の袖を動かして、自分の鼻さきへ紙きれをはりつけた。
「フーオン・コロ・コロのフー?」
「ええ、そういうの」
そして、紙片が落ちた86という項を開いてみた。そこには、島田に結った若い女が、裾をかかげて、急流のまんなかに行きくれている絵がかかれていた。そして、美人流水の中に立って云々と、おみくじにあるような文句のほかに、くだけた言葉で、いまのあなたには何よりも決断が大切です。躊躇していれば、事態は悪くなるばかり、という風な文句が、その漫画家得意の、禅ぽいいいまわしでかかれていた。伸子は、おかしがって、
「どうです?」
ときいた。
「あらたかでしょう? よその占いなんか、とても足もとへもよれないでしょう」
「いや、全くこれはいいところを当てたですよ!」
木下の言葉の真剣さに伸子はびっくりした。占いなんかをしてみる人の心もちにたいして、最大公約数のような、こんな常識が何か真面目な作用もするというのだろうか。伸子は、思いもかけないという顔になった。そして、
「なにが当ったの?」
ときいた。
「なにがって――ちょっと云いにくいが、ともかくね。いや、ありがとう。大いに得るところがある」
ほんとうに、そうであるらしかった。この鼠色背広のひとには、ちょいとしたなにかのきっかけが入用だったのにちがいない。伸子はそう判断した。
「わたしの運勢はこれですけれど……元日にやったんだから、たしかよ。素晴らしいでしょう」
それは、43という番号だった。勲章をつけて、からのおはち[#「おはち」に傍点]をかきまわす図。そう題があって、その題のとおりの絵がかかれていた。髭をつけ、鳥の飾毛のついた礼帽をかぶった大礼服の男が、板の間に膝をついておはちをかきまわしている。そのおはちの、こちらに見えている内部はからっぽで、一粒の米もなかった。
「ハハハハハハ」
木下はひどく愉快そうに、大笑いをした。
「これはいい。いいじゃないですか」
「そうよ。わたしも気に入っているんだけれど」
伸子は、自然に飛躍した。
「こまることもあるわ。この絵を見せて、わたしはこういう運勢のものですから、よろしくって云ったって、外国旅行はさせてくれないから」
「――そんな話が出ているんですか」
二人にソヴェト旅行の計画がきまったこと。素子は自分で支弁するが、伸子には旅費がなくて、からの旅券下附願を出してあることを話した。
「なんとかならないかな」
「わたしに、小説でない、いろんなものをかけるなら、もちろん、木下さんのところへ相談に行ったんです。無理にだっておたのみしただろうけれども、わたしは、それが駄目だから……言葉も通じないところへ行くんだし……」
どこへ行っても小説以外のものはかけないだろうということを、伸子は、自分の生活上の無力さとして感じているのであった。しかも旅行している何年かの間は、その小説さえたいしてかけまい。そう予感してもいるのであった。
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