指の間にはさみながら、その場に錯綜した神経にも格別煩わされもしていない風で葡萄酒をすすった。
 二階へ戻って、小川と素子は縁側の籐椅子へ出た。
「ここがヴェランダになっているといいんですがどうも……」
 小川豊助は、
「ハルビンあたりでさえ夏の別荘《ダーチャ》気分はいいですなア、夜、ヴェランダで涼みながらサモワールをかこんでいると、ギターがきこえて来たりして……」
 追懐につれて俄かに思いおこしたらしく、
「そういえば、いよいよ日本からの国賓もきまったようですね」
といった。
「へえ」
 素子は、
「そうですか? いつ?――ちっとも知らなかった!」
 刺戟をうけた表情になってききかえした。
「そろそろ旅券も下りるらしいようですよ」
 ソヴェト・ロシアが革命十年の記念祭に、世界各国から文化代表を招待して、一ヵ月間国賓として見学させるという計画が、春ごろから噂にのぼっていたところであった。
「誰です?――国賓は……」
 国賓というとき、素子は、皮肉なゆっくりした口調になった。
「大体、噂にのぼっていた人々らしいですよ」
「あ、佐内満、秋山宇一、瀬川誠夫、そんなところですか」
「それに尾田君も加わっているらしいです」
「尾田君が?――国賓?」
 素子は、タバコをもっている手で自分の顎を下からしごきあげるようにしながら、あおむいて笑った。
「すごいことになったもんだ――誰がきめたんです?」
「それは、こっちに来ている文化連絡の代表と相談してきめたんでしょう」
「その相談をした人が問題なのさ」
 小川豊助は、鋭い素子の勢におされて、しばらく沈黙していたが、
「やっぱりいろいろのいきさつもあるんでしょうし……」
 苦労になれ、また同時にそういう派手やかな場合、問題の圏外におかれつけて来ている人のおとなしさで小川豊助は答えた。
「交渉した人をとりのけてきめることも出来なかったんでしょう」
「しかしそれゃ情実ですよ。いやしくも国賓となれば、日本の文化人の代表だもの……変だなあ」
 素子は、非常に根づよく追究した。
「どうして、登坂先生をのけものにしたんだろう。ロシア文学関係では、芝居の佐内さんと同じに功績のある人なのに――独創的ではないけれど……不公平ですよ」
 素子が、伊豆へ一緒に行って一夏暮したのはその登坂教授であった。
「そんな不公平を、どうして後輩がだまっているんだろう。薄情だ」
 伸子は、かたわらからきいていて、どこにでもおこることがまたここでくりかえされていると思った。外国人同士の間で、まっさきに自分を紹介し、自分を推薦し、代表らしく扱わせる人々というものが、いつも必ずしも本国の人全体からそれだけの価値をもって見られているというのではない場合が多い。伸子が、少女としてニューヨークの大学の寄宿舎に暮していたときも、外国の人々の前に、茶だの生花だの振袖だので自分をあらわしてゆくある種の人の方法に対して、いつも調和しにくかった。ほんとの人間としての日本人の精神にある教養、世界の輪の一つとしての日本人のこころは、もっと奥にある。伸子には、そう思えて、領事館などで催される社交的な集会などへ、伸子も若い日本の娘の一人だということで、日本服などを着せられ、接待役によばれることを、きらった。国際的な感情といっても、それはあらゆる外国の通俗の慣習にただなじむことではない。外国の人間の新しい感覚でそれを感じあって、より高い偏見や先入観のない関係へすすめてゆく。好奇心をより人間らしい、互にわかったものにしてゆく。おぼろげに伸子の感じている国際的という内容は、そういう方向をもっていた。
 夏の宵闇に涼みながら、ソヴェトへの国賓のとりざたをきいていると、伸子は、ロシアという国に錯綜している古さ新しさについて、またそれをとりかこむ国々の人の好意のなかにさえある古さと新しさ、利害のまじりあいについて、複雑な心持がした。ロシアが、ソヴェト・ロシアと呼ばれるようになり、ペテルブルグがレーニングラードと名づけられてからのロシアについて、伸子は、一般の人々が知っている以上のなにも知っているといえなかった。ただ、トルストイによってあのように描かれたロシアの生活、チェホフの語ったあのロシアの感情、そしてチャイコフスキーの悲愴交響曲や胡桃割の舞踊曲がその諧調で世界のこころに刻みつけたあの胸せまるロシアが、新しいロシアになったということについては、深い深いおどろきと魅力とがあった。そのロシアへの国賓ということには、それに向って人々を注目させ、嫉妬させる刺戟がこもっている。せり合って、幾人かの国賓の中に加わろうとする心に、まじりけない憧れ、好学心しかないといえば、その無垢さはかえっておとぎ話めいた。日本における新しい国の代表とされている古い人――事実その東洋学者は若くなかったし
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