、間違っていると思うわ」
 保は一層大きく膝をゆすりはじめた。そして、平らかな上まぶたの下からほとんどおこったように苦しく圧縮された視線を伸子の上に射かけた。
「僕がばかだっていわれたときは、暴力論だったの」
「…………」
 話がこういう風に展開したことは伸子にとって不意うちであった。伸子の心に革命、赤露、社会主義というような字が次々に浮びひらめきすぎた。
「人類のためよりいい社会をつくるというんなら、なぜそのために暴力なんて使わなけれゃならないのかなあ。――僕、どうしたって暴力ってわるいもんだと思う」
 保は、訴えるようにつづけた。
「いいことのために、わるいことをするって、まるで矛盾だと思うんだ。よくないことは、どういうためにつかったってよくないと思う」
 やっぱりそうだった。伸子はそう思った。保でさえ、伸子の知っているより遙かにどっさりのことを、仲間と話し、考えあっていたのだ。盟休した二高の学生たちばかりでなく、みんながこういうことを話している。伸子はそれらの青年たちに対して羨望の感情を抱いた。現在まだ続いている問題だと見えて、保はくりかえし、
「僕にはわからない」
といった。
「いいことのためには、絶対にいい方法をとるべきだと思う」
 いい方法。――いい方法――。佃との生活が破れかけたころから、離婚してしまうまでの数年間伸子はどんなに、その「いい方法」をさがしてもがきつづけただろう。伸子は善良さと気のよわさと両方から、佃と自分の生活の破綻を何とかして平和に解決したいと思った。出来るだけどちらも傷つけることなく、失敗したといっても、もとは愛情から出発した生活の終りらしく、その悲しみにもどこかに美しさのある調和で終らせたいと、どんなに心を砕いたろう。だが、現実に、それは可能でなかった。最後に佃は伸子を憎んだし、伸子は佃を嫌悪した。そこまで行かなければ、解決しなかった。そこまで互いをむしりあわないで生活の破綻が救われるものであったのなら、初めから佃と伸子との生活に、それだけの深い離反は生じなかったわけであった。伸子はこわさにぎっしり両眼をつぶって、がむしゃらに、ひたぶるに、佃との生活から身をもぎはなした。万事が終って何年かたったいま、伸子は、しみじみと理解しているのであった。夫婦の間の衝突でさえも、それが本質からの原因をもっているものなら、決してものわかりよく手ぎれいに解決することはあり得ない、と。互いにものわかりよく、手ぎれいに解決されるくらいなら、はじめからそんなに衝突しないですむだけの互いの理解がある筈なのだから。伸子は、離婚などということだって、いわば一つの暴力的なことだと思った。そういう意味で自分が暴力的だったのが、わるかったと思っているだろうか。伸子は、それは避けがたかったこととして、その道を通じて生活の展開の可能がつくられたという意味で、自分のしたことを否定していなかった。やましく感じる気持はなかった。
 伸子は、自分のその実感を、保の問題にあてはめた。
「わたしには、いろいろなことがわからないけれどね、いい方法って……保さんのいい[#「いい」に傍点]っていうのはどういうのさ」
「絶対に正しい方法」
 伸子は、また新しい不安を覚えた。保は、どうして、いつも、そして何についてでも、絶対ばかりをいうのだろう。
「絶対に正しい、いい方法なんて――」
 困ったように、確信なさそうに、伸子は横目になりながらつぶやいた。
「いつでも、何にでも絶対にいいなんて、そんな方法ある?」
 ユーモラスな気になって伸子は、
「薬の広告じゃあるまいし……」
といった。
「保さんの、さっきの、どの議論もそれとしては理窟をもっているっていうのと、いまの絶対にいい方法でなければいけないっていうのと、ちょっとみると反対みたいだけれど、同じなのね、保さんの考えかたって――わからない」
 ものごとを考えるというと、具体的にそこにある問題からはなれてなんでも抽象してしまう保の方法をそれが執拗であるだけに伸子は不安に感じた。
「保さん、そういう話、越智さんとしたことがあるの?」
「すこしある」
「なんてってた?」
「――僕の考えかたは、純粋だっていっていた」
「…………」
 純粋! 何ていいかげんのにげことばだろう! 伸子は越智に対して、いつも湧く忿懣《ふんまん》を新たに感じた。越智は、青年たちが自分たちの生の問題としてそういう議論にも熱中するその真情がつかめるような人物ではない。現代の青年はそういう議論をする、ということだけを問題にする能力しか持っていやしない。伸子はくやしそうに、
「越智さんなんかいいかげんに卒業してしまわなくちゃ駄目じゃないの、保さん」
といった。伸子は自分の生活態度を、破壊のための破壊をこのむものだといって、多計代に一つの偏見を
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