心のうちでは、自分の書く小説のことであり、小説を書いてゆく、というそのことでもあった。
 しばらくして竹村が、
「むずかしいもんさね」
 緊張した空気をほごすように、座蒲団の上で胸をひろげて、のびをするようにしながらいった。
「考えてもきりがないようなもんだし、うちの奴みたいに、てん[#「てん」に傍点]から考えない女も、つきあえたものじゃなし……」
 立ち上って、竹村は、
「ところで、きょうは、ひっぱり出しに来たんだ。――ひとつ出かけませんか」
と、伸子を見た。
「どこへ?」
「温室を見せようっていうんです」
 去年、細君を離別した竹村は、駒沢の、伸子たちの住んでいる分譲地よりずっと奥に、一人暮しで園芸をはじめていた。
「いま、カーネーションが素晴らしいところなんだ、ね、――行こう」
「いまっからじゃあ……」
 素子が、決断のつかないおももちになって、竹村の住んでいるところとの往復の距離をはかるように庭を見た。
「かえりは送って来るよ、宵の口はひまがあるんだ。この頃の気候だと夜中にボイラーをたくだけでいいんだから」
「――ぶこちゃん、どうする?」
「私は行ってもいいけれど……」
「じゃ、行こう、おいしい干物があるから、あれをもってって御飯たべよう」
「来て見なさいとも。びっくりするから……きれいで――」

        七

 家の門を出て、右手にゆるい坂をのぼりきると、桜並木の通りへ出た。玉川電車の停留場を降りたところから、真直にもう一本桜並木があって、伸子たちの家へ来るには、そっちを通った。その道は、とっつきから、小さい魚屋、荒物屋、八百屋、大工の棟梁《とうりょう》の格子戸の家などが、いかにも分譲地がひらけるにつれてそこへ出来たという風に並んでいる。その間を通って来ると、段々|生垣《いけがき》や、大谷石をすかしておいた垣の奥の洋館などが見えて来る。同じ桜の並木通りといっても、その通りは分譲地でのサラリーマン階級の雰囲気で、ちょいちょいした日用品の買いものに、住宅地の人が日に何べんもとおる通りであった。
 坂の上の方をとおっている桜並木は、左右に植えつけられている桜が古木で梢をひろげ、枝を重くさし交しているばかりでなく、並木通りからまた深い門内の植えこみをへだてて建てられている住宅が、洋風にしろ、和風にしろ、こったものばかりであった。外壁に面白い鉄唐草の窓をつけ
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