た。蕗子が教科書を揃えるとき伸子も自分の分を買って来てもらった。
 翻訳をはじめてから、素子はちょいちょいした相談相手としてフィリッポフというロシアの人と知りあいになっていた。老松町に間借り暮しをはじめた頃のある夜、伸子も素子につれられてフィリッポフというその男の住居を訪ねたことがあった。一九一七年の革命のとき極東のどこかの小さい町に両親と生活していて、騒動の間に親たちは死に、自分は日本へ逃げて来たというフィリッポフは二十八九歳で、鴨居に頭のつかえる背たけをしていた。亜麻色の髪をすこし長めに後へなでつけ、水のような瞳をしたフィリッポフは神田に二階借りして、ロシア風の襞の多いスカートをつけた若いからだの大きい妻と、生れて間のない赤ん坊とで暮していた。階下にはいかにも下町風の頭痛膏をはった婆さんが住んでいた。二階へあがるとき内部が見える位置にある部屋の障子のそとに、寄席の引き幕の古びたようなじじむさい大きい布がぐるりとはりめぐらしてあった。フィリッポフはその二階の二つの小さい座敷の唐紙をはずして、椅子、テーブル、大きい本箱、赤ん坊の揺籃、ミシン、赤ん坊に湯をつかわせるブリキの大盥、食器棚など、生活に必要なあらゆるものを、その室内に持ちこんで暮していた。燭光の小さい電燈の光が、日本人の習慣では想像もされないほどこみ入って、しかも整頓されているその室の光景を照し出していた。壁に美しく赤と黒との糸をつかったロシア刺繍の飾り手拭いが飾ってあり、その部屋においてあるすべてのものに脂の匂いがしみこんでいた。
 伸子はフィリッポフに会って、はじめてロシア人の口から話されるロシア語の魅力を感じた。同時に、クープリンの小説などでよんだように、当てどのない、しかも濃厚な生活雰囲気が東京のその一隅に生きていると感じた。
 フィリッポフは、しかし、素子が必要としただけの教育をうけていないらしかった。話す母国語は勿論わかっているが、文学として、こまかい語義の詮索になると、図ぬけて背の高いやせたからだに黒い服をつけたフィリッポフは、水のような瞳に半ば絶望の表情をうかべた。そして、顔ほどの長さのある手で亜麻色の髪をなであげた。
 丁度そのころ、ある日本の理学者の妻になっている音楽家のロシア婦人があった。その婦人の母と姉とが、その人について来て東京で暮していた。素子は、やがてワルワーラ・ドミトリエーヴ
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