二町ばかりしかない。この時計屋の角へ出る道の一方のはしは石屋の角で、そこから入った裏通りのなかごろの右側に佃の家がある。伸子が、恐怖や、憎悪にうらづけられた鮮明さで覚えているその大きい石屋の、石柱を幾本も立てかけた石置場が、店のよこの天水桶とともに、ゆっくりタクシーの窓外をすべって行った。交叉点の手前まで来ると、伸子ののったタクシーはにわかにスピードを出して前方の障害物を迂回し、赤坂見附に向って走りつづけた。
伸子は、はじめから終りまでクッションにもたせかけている頭の位置を動かさず、タクシーの窓外にジリジリと移ってゆく、昔の生活の場所を瞳の中にうつしとった。橋本と染めだしたのれんの下ったうなぎやの横から、不意に佃がそこの歩道へ出て来たとしても、そして、タクシーの窓ガラス越しに佃の蒼めな顎の大きい顔が伸子の顔と向いあったとしても伸子はクッションにもたせた自分の頭は動かさなかったろう。その界隈の風景はその時代の生活の苦しさとともに伸子の過去のなかにくっきりと凝固していて、きょうの感情に語りかけてくる生命をもっていない。佃とわかれてからあしかけ四年たっていたが、伸子は、どこでも、一ぺんも、佃に出会ったことはなかった。
街々をつきぬけいくつもの角を曲って自動車が走ってゆくにつれて、青山一丁目の街の光景は次第に遠くにおきやられたが、うなぎやの手前に、青塗りの妙にとび出した露台をもった氷問屋がいまだにあったのを思い出し、伸子はふと、あれは本当はどういうことだったのだろうと思った。佃との生活がだんだん破局を重ねて来て、伸子は佃の家から逃げ出すことが多くなった。東北の田舎にいた祖母のところや、湘南にいた従妹の冬子のところへ。そういう一つの逃げ出しから動坂のうちへ帰って来たとき、多計代が一種の目つきをして、
「佃さんてひとも、あれで案外不自由なんかしていないんだろう」
そう云って、その頃佃のうちに女中としていたみつ[#「みつ」に傍点]が、佃が病気で鎌倉へ行った先までついて行って世話していたことを話した。そのときの伸子には、せめて、みつ[#「みつ」に傍点]がそうしてくれてよかったという感情しかなかった。それから、伸子がまた決心をぐらつかせてしばらく佃と暮すようになったとき、みつ[#「みつ」に傍点]は、どうもからだがわるいからといって、青塗りのバルコニーのあるあの氷屋の二階がりをし
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