一寸……」
 あとは、はなれた椅子にかけている伸子にきこえない打ちあわせになった。深いひじかけ椅子に背をもたせかけて、鼻眼鏡の顔をあおむかせ気味に何かいう藤堂駿平の方にこごみかかって、
「はァ」
とか、
「それは出来ますでしょう」
とか簡単に答えながら、秘書はそれとなく眼を動かして、ちょいちょい伸子の方を見た。
「じゃ」
「…………」
 秘書が一礼して出て行くと、藤堂駿平は、
「お嬢さん、明後日あたりでも、大使館へいらっしゃい、わかるようにしておくから」
といった。そして、膝の前におかれている小卓の箱から葉巻を出して、その先をきり、火をつけ、くゆらしながら、一層深く椅子の背にもたれこんで、
「日本の婦人たちも、どしどし外国へでもどこへでも行くようになってくれなくちゃ仕様がありませんな」
と云った。
「三浦環なんかにたいして、どういうものか日本人は冷淡だ、悪口をいう奴さえある。あなたも広いところをみて、しっかり面白い小説をかいて下さい」
 いつか伸子に反物をおくってくれた老母は、じき喜の字の祝いで別荘に暮している。そんな話もあって、泰造と伸子とは四五十分で藤堂駿平の邸を出た。
「どうもありがとうございました」
 自動車が麻布の通りをいい加減進んだとき、伸子は父に改めて礼をいった。
「ほんとに一安心したわ。――でもなんて、簡単なんでしょう」
「なにが?」
「いろんなことが――ああいう人たちって、あんなになんでも簡単にいくのかしら……」
「まあ、簡単にゆくところがあるだけ、一方でたいしたところもあるだろうさ」
「――お嬢さん、お嬢さんていうんだもの」
 伸子は苦笑した。しかし泰造は案外真面目で、
「だってお前はミス佐々じゃありませんか」
と云った。
「それゃそうだけれど……」
 お嬢さんとよばれることに、伸子はミスという意味よりもっとちがった内容を感じるのであった。面白い小説をかいてくれ、といわれることにも、返答にこまる心持がした。藤堂駿平が、在来の政治家と非常にちがった自由な寛濶な雰囲気をもっていることは伸子にもわかった。けれども、ああやって堂々として椅子にかけて話しているときの、近いようで遠い、わかったようで全く互にわかっていない感じは、何と変だろう。
 伸子は、はたちのとき父につれられてニューヨークへ行った。その仕度の時のことを思いおこした。子供の時しか洋服を着てい
前へ 次へ
全201ページ中185ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング