のいまの生活に決してすっかり安心しているのでなかった。佃との生活におさまりきれなかったように。佃との生活に落ちつけずにいた伸子にたいして、素子はあんなに積極的に離れてゆく伸子の心を支持した。いまだって伸子は動こうとしている。自分たちの生活として、そして、自分たちの生活の新しい意味を発見しかかっている。素子は、なぜ同感してくれないのだろう。伸子と素子との間のことのようにうけとるのだろう。素子の机のよこからはなれてゆきながら伸子は涙ぐんだ。
二十四
ソヴェト同盟の革命十周年記念祭は十月初旬から一ヵ月の間つづく予定だった。それがすんでから、あっちへ着く方がいい。素子はそういう風に計画を立てた。全く個人の資格で、もしかしたら招かれざる客としてゆく女なんかは、そういう騒ぎがしずまってからの方がいい。そういう考えであった。
九月に入って、素子は本式に旅券の申請手続をとることになった。旅券申請には、下附される旅券にはる写真が入用ということだった。
「厄介だな。うちでとったのだっていいんだろう。何かありそうなもんだね」
素子は、台紙にはらないスナップ写真を入れてあるカステーラの古箱を床の間の地袋からもち出して、なかみを机の上にひっくりかえしはじめた。伸子は縁側の椅子のところからその様子を眺めていた。素子は、
「丁度っていうのはないもんだな、これは小さすぎるし」
書類につけて出す写真は寸法もきまっているのであった。伸子は、妙に力のこもった眼つきをして素子が素人写真をいじっている様子を見まもっていたが、やがて、少しつばのたまったような声になって、
「――あたらしくとったら?」
そういいながら椅子を立って、机のわきへ来た。
「新しくとりましょうよ、かわりばんこに……」
ばつがわるそうにそう言って伸子はちらりと亢奮した笑顔をした。
「わたしもいるから……」
素子は、それをきくとさっと顔をあからめた。
「なんだ! ぶこちゃん!」
そして、たしかめるように、じろじろと伸子を見まわした。
「ほんとかい?」
伸子は、こっくりとした。
「どうしたのさ――動機ってやつは――」
灰色表紙の一冊の厚い本は、伸子がこれまで知らずにいたどっさりのことを教えた。自分の様々の疑問がこの日本の社会の中にもっている環境と関係したものであるという性質が、おぼろげに輪郭づけられた。
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