うものについて全く無智で暮している場合でも、動かせない現実として存在する。そういうところを読むと、伸子にも、ぼんやりと、リャク[#「リャク」に傍点]に来た青年たちと自分との第三者からみた立場のちがいが、どういうことになるかわかるようにも思えた。伸子は、自分というものが、社会の階級では中産階級という不安定な階級に属す一人の女だということを理解した。自分の仕事をもって、独立の経済で生活しているにしろ、中産階級・小市民という階級に属していることにかわりはなかった。そして、その中産階級というものは、ますます寡頭化してゆくブルジョアジーと勤労階級との矛盾の間にはさまって動揺しており、歴史の発展の中で新しい任務をもちはじめている勤労階級と利害をともにする立場にうつるか、さもなければ、本質的な発展を阻まれたままふるい支配階級とともに歴史のなかに消耗されてゆくしかない階級として、示されているのであった。
「そうなのねえ。だから、動坂でいくら自動車を買って、どうかなった気でいたって、結局のところやっぱり、けちくさいんだわ。大戦で郵船会社が大儲けしたから、建築家だってあのビルディングを建てたんだもの――」
そう云っているうちに、伸子は建築家である父が、しばしば娘の伸子に向って、依頼者の註文づけが不愉快だと話していたことを思い出した。方眼紙でできている父の手帖には、実際に建てる家やビルディングの設計図のほかに、それを考えているうちに浮んで来たいくつもの架空の設計図が描かれてあった。椅子にかけた泰造が、その膝のところにくっついて低い腰かけにいる伸子の手をとってなでながら、よく、想像(イマジネーション)を発揮しなさい。と、それを日本語でいうより英語でいうと一層そこにゆたかさが思われるようにいうのを思い出した。そういうとき伸子は、
「お父様のイマジネーションずき!」
と笑った。社会のしくみがいくらかわかって、建築家としておかれている父の立場が察しられてみれば、父のイマジネーションずきには、決して実現しない建築家としてのあこがれがひそめられているのを知った。それを思いやらず、無頓著にただ陽気そうに笑っていた若い女である自分の笑顔の上に、伸子は無智からくる厚かましさをみとめた。それは伸子に自分への反感をつよく感じさせた。
食うための苦労をしたことがないということで、伸子は作品に関してまで悪口を
前へ
次へ
全201ページ中166ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング