この評論家が、何につけても、これまで在るものをただそのまま裏がえしにしてしゃべるしか能のないことをおどろいて、気持わるく発見した。女が、自分の人生の道をもちたいと願っている心、中国の女学生が国の独立のために役だとうと決心している心は、こんな風なよそよそしい、有名人の持芸で、何ものを加えられるというのだろう。伸子は、年長者としての親切のない態度へのおどろきと自分の機智に満足している有名さへの軽蔑で、本来は素朴で好意的であるべき会に主賓となっている評論家を見つめた。
 黒服の小柄の人が立って、ノートを見ながら早川閑次郎の話を丁寧に通訳した。伸子がきいていると、通訳者の丁寧な通訳ぶりそのものに、ひそめられているある感情がうけとれた。通訳の半ばから、女学生たちの群の上にはっきり動揺があらわれた。一人の茶っぽい服を着た女学生が自分の席から、
「シェンション」
と呼んで手をあげた。通訳の人は、ノートを見ながら抑揚のつよい中国語で話しつづけ、左手の掌《てのひら》でその女学生の発言を柔らかくおさえるようにしながら、しまいまで通訳した。
「シェンション!」
「シェンション!」
「シェンション!」
 その声々は、伸子の動悸をたかめる響きを持っていた。中国の女学生たちのせきこんだ感情が実感された。おっしゃい! どんどんおっしゃい! 伸子は、眼をきらめかせて、手をあげている中国女学生たちを見た。
「はい」
 茶色っぽい服をきた、ほっそりした体つきの女学生が指された。通訳の終るのをまちきれずに「シェンション」と鋭く呼んだ女学生であった。席から立つと、その女学生は、おかっぱを頬からふりさばこうとするようにきつく頭をひとふりして、
「早川先生!」
と、ハヤカワという姓だけ日本語で呼びかけた。そしてぴったり自分のからだを、講師の方へ向けた。そして、激怒した口調の中国語で、たたみかけ、たたみかけして話した。二度ほど間に「早川シェンション」とよびかけながら。
 黒服の小柄の人が、その内容を日本語にしてつたえた。が、その通訳は、じかに耳できき、その若い声の抑揚から激情が感じられた話の調子にしては、ひどく内容が簡単につたえられたようだった。私たち中国の若い教育者は、真に故国を文明国とし、人民を幸福にしたいと希望している。早川先生の孔子に対する見解は、私たち中国の若いものが孔子を見ている見かたと正反対であり
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