ぞ[#「ついぞ」に傍点]発見し得ない。強いて云えば京都風というもので統一されてしまっている。
 所が、東京は全く雑然としている。お召の側《かたわ》らにけばけばしい洋装がいるかと思えば、季節外れの衣裳を平気で身に附けている者がある。だから、京都は統一はあるが婦人の個性は失われている。東京は統一がない代りに、各自その人の個性がはっきり掴み取れる様な服装をしている。土地によると二つの型がはっきりと分類されていて面白いと思う。

 それから、段々職業婦人というものが多くなって、女の外出ということが繁くなるに従って、一つは綺麗ではあるが二三年でもう棄ててしまう安もの――棄ててしまっても何等惜しくないのを着る者と、他は高価ではあるが永い間着て悪くならないつまり「持ちのいい」ものを着る者という風に分れて行くであろうし、現在そうなっていると思う。派手に着飾って見た眼には美しいが、指をふれて見ると碌なものじゃないという傾向と、じみな、視覚にはそんなに衝動を与えない代りに丈夫で永持のする高価なものという二つの服装分類は、そのどちらかに依って、外出する機会を多く持っている者か、内に許り閉じこもっている人であ
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