二つの家を繋ぐ回想
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)二月《ふたつき》

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(例)朝から様子を見に行って居たとり[#「とり」に傍点]が
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 厭だ厭だと思い乍ら、吉祥寺前の家には、一年と四ヵ月程住んだ。あの家でも、いろいろな事に遭遇した。此の家に移ってからも、二月《ふたつき》と経たないうちに、上野で平和博覧会が開かれた。続いて又、プリンス・オブ・ウェルスが四月十二日に来朝される。――
 福井から、Aの父が、一遍は我々の家に来て見たい希望のあることは、去年から知られて居た。丁度五月頃、自分が開成山に行って居る時、Aは、独りで寂しいから、来られませんかと云ってあげたのだそうだ。自分は其を知らず、一ヵ月許りの独居から戻って来た。Aは、直ぐ先方に断りを出した。切角決心をし、どんな鞄を持って行こうなどとさえ相談を始められたのに中止したと、夏休みに行って、始めて聴いたのであった。
 自分の為に、きっさきを折られて、折角の楽しい予想が裏切られたかと思うと、私は、七十になった老父の為に相すまなく感じた。
 十六年も別れて居た息子だ。生きて居るうちに、又とは会われまいと覚悟さえした息子だ。其が、思いがけない時に戻って来た許りでなく、東京で、地方人の心で云えば、立派に生活して居ることを思えば、一度は其有様を眼に見たいのは無理もない。
 今年の春休こそは、呼んで上げよう。それ迄に、どうか云うことはないように。自分は冬の中から願って居たのである。
 二月に引越せたと云うことは其為にも都合がよかった。三月に入るとすぐ、自分達の心構えを知らせ、上京を促した。私は、悦ばしく、自分の出来る限りを尽す気持で、派手になった十七八頃の銘仙衣類等を解いて、彼の使うべき夜着になおしたり何かした。
 彼も来られると云う。四月の始め迄居る積りで、三月の二十日以後に此方は出発しようと云って来た。それ等のことで仕事が出来なくなるのは眼に見えて居る。然し、自分にとって、今度、彼を迎えると云うことは、其不快以上の歓びと感じられた。自分は、それ迄にと思って、約束のある原稿は書き、心をからにして、老人を迎える仕度にかかったのである。
 処が、生憎、三月に入ると、とり(女中)の娘が病気にかかって、家に居られないことになった。
 上の娘は、三輪の郵便局の細君になって居る。二女が二十一二で、浜田病院に産婆の稽古をして居る。うちにもちょくちょく遊びに来る、色白な、下膨れの一寸愛らしい娘であった。先頃、学校を出たまま何処に居るか、行方が不明になったと云って、夜中大騒ぎをしたことがある。それも、病気を苦にして、休みたかったのだったそうだが、今度は、愈々腹膜になって、ひどい苦しみようだと云うのである。
 朝から様子を見に行って居たとり[#「とり」に傍点]が
「奥様、もう駄目でございますのよ!」
と云い乍ら、顔をかえて水口から入って来た時、自分は、ぎょっとした。
 彼女の息子二人は、結核で死んで居る。又、今度も! と云う感じが、忽ち矢のように心を走ったのである。
 生きるか死ぬか、母娘諸共と云うような場合、此方の困ることを云っては居られない。
 父の上京のことも思い合わせたが、自分等は、さっぱり彼女に暇をやった。
 一方には、漠然と、瞬間を利用した形跡がないでもない。Aは、先頃から彼女の、神経を疲らす甲高声と、子供扱いとに、飽きが来て居た。何処か性に合わない処もあるらしい。やめたいとは、前から云って居たことだが、此方から来ないかと云って来させ、もう帰れとは云えない。それが、此、刹那にすっかり位置が変り、相方の希望が一つの形に於て満されると云うことになったのではないだろうか。
 後の代りがないことは、少くとも、自分には判り過る程解って居た。が、いざと云う時にはどうか成ろう。
 正直に云うと此事より、自分にとっては、深い心懸りが他に一つあった。それは、林町と我々、寧ろAと母との間に不調和があり、去年の九月から、彼は、林町へ来ることを止められて居ると云うことなのである。
 老人に、云うべきことではない。彼が来れば勿論、林町へ挨拶に行こうと云われるだろう。Aの行かないのは変だ。
 彼の来られる前、何とか今の状態を換えることは出来ないだろうか。
 云わずとも、Aは勿論其事を思って居る。
 其為にも、又、老人の上京等と云うことを抜きにして考えても、彼と母との間が、あまり長い間、左様な有様で居るのは、不自然すぎる話である。何とか理解し合う機会にもと、Aは、二月の十一日から十三日迄、私の誕生日をよい折に、二人を晩餐に招こうとした。一月の中旬から考を定め、二人の気にさわらないようにフォーマルなインビテーションを書き、都合を問ねて置いたのである。
 けれども、何にしろ父上は、いそがしい。その一日か二日前にならなければ、はっきりした返事は出来ないと云う有様である。母上も、はっきりしない。私を呼び、切角云って来たのを、断るのも余りひどいからと、お父様もたって仰云るから[#「お父様もたって仰云るから」に傍点]、まあ行こうと思っては居るが、と云う程度である。
 私の心持では、Aが、自分から進んで、其丈の配慮をしたことに、深い慶びを感じて居た。其だのに、彼方では一向、此方ほどの熱意を示して呉れない。半分、いやいや恩にきせたような母上の口吻を、自分は下等に感じた。彼女が自分の口から、来るな、会わない、と迄云い切ったのを、今更取り消し、折れることが、如何に、性格として不可能かは判って居る。其故、彼女を立て、此方から、被来って下さいと云うのに、何故からりと、朗らかに、その譲歩を受けられないのだろう。
 いつまでも、ぐずぐずして定らず、自分も気が抜けたような処へ、丁度、此、青山の家が見付かった。
 前後して、元老の山縣公が、一般の無感興の裡にじりじりと死滅して、十日が、国葬であった。為に、確答がないから、繰り合わせてもよいものと思い、林町へ頼み、定ったら来て貰うべき日であった二月十一日に、引越しをしてしまったのである。
 落付いたら、来て頂こうと思い、又、手紙を出した。それも、父上の言葉では、いそがしく、いつがよいか決定しない。ついそのままとなって仕舞ったのである。事の直接原因は、私が昨年の九月、太陽に書いた「我に叛く」が基となって居る。
 兎に角、相互の間に、一脈の疎通が出来た今になっても、此一事は、自分に深大な考の酵母となって居る。つまり、芸術家と普通人との間には、如何に、物象の観方に純粋さの差異があるか、又、その差異が、一種常套的な道徳感のようなものと結合して、一般人の胸からは、如何程抜き難いものになって居るか、と云うことの反省である。
 事なら事を、其自体、人間の、或位置と位置との関係の間に生じた一つの現象として、平静に、理解と愛と洞察とを以て、観ることは出来ない。直ぐ、自分とか誰とか云う意識に遮られ、中流、上に足を入れかけた中流人の、貪慾に近い名誉心を傷けられ、又、おだてられる。
 苟且《かりそめ》にも、小説に書く場合には、私自身のことを書いて居ても、決して、私心を以て描くのではない。心持それ自身を、或圏境に於ける、或性格の二十何歳の女は、斯う思った、と、自ら観、書くのだ。本能が観察せずには居ないのですから、と云っても、其は通じない。「我に叛く」の場合では、此点が、一層、複雑にもつれた。母上は、自分が、完く仕様のない母として故意に描かれて居ると思い込み、始めは、Aが、私を教唆して、あれを書かせたと迄、思われたのだ。
 自分が如何《ど》う云う内的の動機で書いたか、説明は耳では聞かれる。が、心に些も入らない。
 九月の初旬、母は、憤って私を呼びつけられた。
 如何程、熱心と誠意とで説明しただろう。
 自分は、一大危機に面して居るのを覚えた。どうかして、彼女に理解し、納得して貰わなければならない。芸術家としての一生には、此から、猶此様なことが起らないとは限らない。その度に、斯程の誤解と、混乱があるのでは、どうしたらいいのか。又、彼女の威脅や涙に、創作を掣肘されては堪えられない。今まで、自分は充分、それを受けて来た。やっと、人間として生活し始め、独特な作品も出ようと云う時、又、再び、貧しき人々の群を書いた頃の、従順を期待されては、全く、一箇の芸術家として、立つ瀬がないではないか。
 これ程、自分の感情、よく云われる悪く云われる、世間体、体面を喧しく云われるのなら、何故、自分を仮にも芸術家として世に立たせて呉れた。何故、左様な天分を与えて生んで呉れた!
 涙が、押えても流れた。母と自分の為、一生の用意の為、自分は、心のあらいざらいの熱誠をこめて、話した。
 母も泣かれる。
 私なんかは、如何う云われようが、何と思われようがお前の芸術さえ、崇高なものになれば、構わない。けれども、そうは思えないのだもの、どうしたって、左様は思われないのだもの。
 あれから、考えて考えて、夜も碌々眠らない、と泣かれる。
 私の仕事を思って呉れられる愛、それをもう一歩、真個に、もう一重、ぽん! と皮を打ち破って、広い処へ、何故出られないのだろう。
 何故、出て見よう、とはされないのだろう。
 彼女の愛は身にこたえる。然し、不明な点は、一歩もゆずれない。一言、悪かったと云ったら、私は、少くとも、今度の恋愛、結婚、すべてを悪かった、と自認したごとくなるだろう。未来の一生を、彼女の、狭い、純潔だが、偏した、善悪の判断の下に、終始しなければならなくなるだろう。
 寒い日で、炬燵にさし向い、自分等は、長い間話した。
「解らない。どうしても、私とは一致しない処がある。お前はボルシェビキだよ。確に過激派だ」
 すっかり理解が出来たと云うのではなくても、思って居たこと丈は兎に角云って、少しは心も溶けたと云う風を見、其日は帰った。
 Aは、詰らない、何故そう判らないのか、と云って厭な顔をする。特に、彼にとっては、母が、陰で小細工をした等と思われた事が、ひどく不快なのである。
 その内に、九月も下旬になった。
 或日の午後、オートバイでK男が来て、今晩、是非二人で来いと、伝言を齎した。
 勿論、前の続きであるとは推察される。母はきっと、二人を並べて、もう一度、みっしり自分の考を明にされたいのだろう。物事を、或時、ぼんやりさせて置けない彼女の性格としては無理もない。然し、私は、如何うしたらよいのだろう。幾度、母の愁訴、憤怒にあっても、心の態度は、もう定って居る。一層解って貰えるように、一層、心に入り易いように、先日話した諸点を、又繰返すほかないのである。
 二人は陰気な心持で、夜店の賑やかな肴町の大通りを抜けた。
 H町の通りは、相変らず暗い。ずっと右手に続いた杉林の叢の裡では盛に轡虫が鳴きしきり、闇を劈くように、鋭い門燈の輝きが、末拡がりに処々の夜を照して居る。
 父上は、まだ帰って居られなかった。いつもの正面の場処から、母が、隔意のある表情で、
「いらっしゃい」
と軽く頭を下げられる。
 自分は居難い心持がした。彼女が何を思って居られるのか判らず、周囲の人も亦、知ったような、判らないような、何処となく不自然な雰囲気を以てかこんで居るのである。
「――じゃあ、一寸二階へ来てお貰いしましょう」
 やがて、自分等は、二階坐敷へつれられた。
 先に立った母が、改って坐布団などを出される。自分は、其那片苦しい待遇に堪えないで、縁側にある長椅子に腰をかけた。
 Aは、母と相対して坐らざるを得ない。
「貴方も、勿論、もう百合子からお訊きでしょうし、又斯う云う事になると云う位は、若い者でもないのだから前以て御存知だったでしょうが、一体、あの――何ですね、今度百合子が書いたものを、どうお思いです?」
 彼女は、強いて落付き、足場を踏みしめた態度で口を切り始めた。
「どうと云って、私の目から見れば、相当によく出来て居ると思います」
「小説としては、それは、よく書いてありましょう。然し
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