眺め、植物が、ここでは、何という動物的な、凄じい感を与えるか、驚かずにはいられなかった。
従来、自分の心にある植物という観念は、いつも変らない静謐《せいひつ》さ、新鮮、優しい沈黙の裡の発育というような諸点にかかっていた。ところが、こうして見る樹木ややどり木は、決してそんなに穏やかな生物ではない。厖大で、血が通っていそうで、激しく人間を圧迫する。南方の強烈な熱と、ミシシッピイ附近の豊饒な水分とが、特異な養液を根に送って、植物は皆、自身の感情と情慾を意識する動物のように見えるのである。
沼沢地が多い。そこには、底知れず蒼い藻が生え蔓っている。いかにも瘴気の立ち迷っていそうな処に、丸木を組んだ小屋がある。
チヤシを結って、木立ちの奥深く小径のついた場所もある。
日が高く昇るにつれて、自然には、云いようのない倦怠と、生活力の鬱勃《うつぼつ》とが漲って来る。この樹木と草とが、先を競って新緑に萌え立つだろう三四月頃を想うと、北方の血をうけた自分は、息の窒るような心持がした。
棉畑の中に立っては、淋しいなりに黒人も、自然を或る程度まで支配していることを思わせた。けれども、ここでは、彼等も、同じ地上に棲息してい、同じ圏境に生えているという点で、一本の大柳と、全く同様に感じられる。それほど、精神の閃きがない。あまりに官能が天地の間を満している。
北方では、精神力の欠けた、または不活溌を寒気の圧迫と見ることが出来よう。内へ、内へと追い込まれ、それが極度になると、活溌な雪消も見ないで萎縮してしまう。それに反して、南方では余りの熱や自然界の刺戟に会って、脳髄そのものが、融けてしまうのではないだろうか。毛穴が拡がる通りに、脳細胞も拡がり、流れ出す。そして、危く皮膚一重のここで止り、恐ろしく繁茂する植物のように、旺盛な官能生活に浸り込んでしまうのではないだろうか。
「ひどいものね」
その室に帰り、卓子の上に地図を拡げておおよその見当をつけながら、自分は感歎して外を眺めた。
北緯三十度。東半球でいうとちょうど埃及《エジプト》のカイロ辺と同じ線上を駛っていることになる。
気候の平穏な故国にいては、想像に於てさえも漠然としていた、ナイル河の氾濫とか、有名なロタス、パピラス、パアム等の叢生した様子が、かなり鮮に思い廻らせる。埃及人は仕合わせに、アッパア、イジプトの沙漠と石山とを持っていたために、酷熱や他の自然的運命に呑み込まれずに、あの愛すべき芸術を産んだのではあるまいか。同じ、炎暑、赤道の近傍でも、土地が高燥だと、人間の精神は殺されないですむように思う自分の考は間違っているだろうか。
メキシコにしても、そのプロダクションの種類や性質は異うが、そう考えれば考えられないこともない。
自分が熱中して喋ったり、覗いたりしている間に、汽車は、どんどんミシシッピイの瀬戸に沿うて走った。いつか山火事があったと見えて、或る処では広大もない樹林が皆焼き払われ、黒焦げの大木が、痛々しく空に立っている。
だんだんそれも疎になり、やがて我々の周囲は、東を向いても西を向いても、一面のスワムプになってしまった。北海道を嘗て旅行したとき、自分は、随分広いヤチを見た。そのときは、何という処だろうと思って動かされたが、今、ここを通ると、それが比較にもならない面積であったことを知った。
あのときのように、彼方には、堅い普通の地面があるのだという感じが、どこからも来ない。目に見える限りの地平線は、同じ光る、黄色い蘆と水溜りに浸されている。涯のない、抜け切れない、彼方の側にも、このように異様な境域が拡がっているに違いないという直覚が鋭く、心を外景に牽くのである。
どこまで行っても、どこを見ても、地面の見えない頼りなさに、感情を動かされたのは、自分等ばかりではなかった。
始めは、黙って眼を瞠っていた乗客が、誰云うとなくその広さや、列車の速力やについて、口をきき始めた。
「何という広いことだろう!」
「全くですね、然し、景色としては独特じゃあ、ありませんか」
「さあね、日本にも、こんな妙な処がありますか?」
皆の心には、一様に、このぶよぶよの、震える沼の中では、鋼鉄作りの汽車が、余り重すぎはしないのか、という、ぼんやりした危惧の蠢《うご》めいているのを感じ、自分は非常に興味深く思った。
平地や田野を駛っているとき、幾百人いるか、悉くの乗客は、一切を機関車に委せている。安心して、列車の動いていること、線路を間違えずに目的地に向って進んでいることを信じ切って抛って置く。けれども、それが、一旦、こんな場所や恐ろしい山の絶壁にでも差しかかろうものなら、眠っていた人々の意識は急に溌剌となる。無数の心が後から後から各自の体をぬけ出して、列車の前後左右を守り包むように感ぜられる。
前へ
次へ
全17ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング