ウェストミンスタアさ」
「ほんと?」
私は、覚えずくるりと振向いて、窓際の長椅子にいる彼を見た。
「ほんとうにウェストミンスタアなの?」
「ほんとですよ。何故?」
そう云いながら、私の驚いた顔を見ると、彼は、さも可笑しそうに、は、は、と笑い出した。
「まあ! ウェストミンスタアなの、これが!」
やがて、私も、堪らなく笑い始めた。
こんな、がらんどうな古旅舎が、ウェストミンスタアだとは、何という滑稽な皮肉だろう。
私共が、結婚するとき、自分達の小さい部屋を、ウェストミンスタアより尊いところだ、と云い云いしたことがあった。それはもちろん、倫敦《ロンドン》の国立大寺院を指していたのだ。四月頃、欧州へ渡ったら、是非行って見ましょう、と空想していたところだ。それが、大西洋は渡らず、アリゾナの砂漠を横切って、こんなウェストミンスタア・アベーに辿り着いたとは、云い難い一種の淋しさと滑稽とを感じずにはいられないのだ。
初め、陽気に声をあげて笑い出した自分は、だんだん真顔になって、鏡の面を見つめた。
風呂をつかい、さっぱりと髪を結いなおし、軽い絹服に換えると、私は良人と連立って旅舎を出た。
天気はいかにも暖かで、厳めしい客間に閉じ籠ってはいられない心持を誘い出す。先刻、夫人の云ったオールド・ミッションの一つに行って見ようというのである。
いったい、この辺に、オールド・ミッションと総称されている古い修道院は、非常にたくさんあるらしい。カリフォルニアが、まだ闘牛士《トーレアドール》の王の支配の下にあった時分、遠いスペインから、多数の伝道者が渡来した。千七百、八百年代の命がけの航海の後、彼等はメキシコやその他地図に名も載せられないような海岸から、次第次第に幾年もかかって、内陸に巡教して来た。そして、当時、住民の大多数を占めていたらしいメキシカンやインディアンを手懐《てなず》け、教え、毎日生命を危険に曝して、ところどころに修道院を建てた。旧教で、ロスアンジェルスの附近には、時にフランシス派の伝道が行われたらしい。
我々が行こうというのは、サン・ガブリエル修道院で、市の中心から電車で小一時間の距離にあるところなのである。
紐育などで、日曜というと、朝はまるで無人境になったように静かだ。十時過頃から、そろそろ晴着をつけて白い手袋を穿《は》め、教会に出かける往来が繁くなっ
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