につよくわたしの心を貫いて存在している。
 葬式の前、一寸人が絶えた時、袴のひだをキチンと立てて坐っていた父が、そこに一人だけ離れて坐っていた自分に向って、
「もうすこし生かしておいてやりたかったが、結局今死んで、おっかさんは却って満足出来ただろう」
と云った。父と、蝋燭の光が花と花との間に瞬いている祭壇の方を見やりながらわたしは、娘というより寧ろ総領息子のような風で、
「おかあさまがあとにおのこりになったら、万事に不満ばかりで、われわれも困ったし、自分もきっと不仕合わせに思いなったでしょうから、よかった」
 そう答え、暫くして笑いながら、
「お父様、私が十一ぐらいのとき、団子坂の方へ散歩につれて行って下さったとき、道を歩きながら、お前のおっかさんにも困ったものだ。今更離縁すると云ってもお前たちがいるし、とおっしゃられて、ひどく困った気持になったことがあるんだけど、覚えていらしって?」
ときいた。
「へえ、そんなことがあったかね」
 父も笑い出し、若やいだユーモラスな目つきで、
「ちっとも覚えていない」
と云った。そして、二言三言つづけて、妻としては全く世間ばなれのした妻であった母を軽く揶揄《やゆ》するようなことを云ったが、不図、自分が思わず耳にとめた咳ばらいをして、
「ああ、神官さんに葭江《よしえ》の略伝のようなものをやらなければならんが、お前一寸書いてやってくれないか。その中へこれまで何回も重病をわずらったが奇蹟的に生きたことを入れた方がいいと思うが――」
と云った。
 母は多病であったばかりでなく、娘であるわたしが屡々、世間のあたり前の女親が娘に対して示す具体的な情愛について自分の経験とは対蹠的なものとして考えたことがあるような独特な性格をもって、一家の真中に構え、生活していた。
 夫婦なかのよい義妹が何かの話のとき、
「ゆうべ、また例のようでね。お父様が、お母様に、お前なぜ一昨年病気したときに死んでしまわなかったのだと云って、涙をおこぼしになったのよ」
とおだやかな口調で云い、云い終るときっと唇を締め、身じろぎをせず私の顔を見つめたことがあった。出かける前か何かで立ったままきいていたわたしは、そのとき、
「ふーむ」
とより答えようがなかった。母が子等とだけ老後を送らなければならなくなったら、それは皆の不幸であろうとわたしが日頃思っていた根柢には、経済的に母が
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