活に明らかに見るのも共によいものである。
S子の様に、とりとめのない悲しさに(それは、私共の眼から見ればまことに幼いようではあるけれ共)、その日その日を味気なく送って居る人も、
K子の様に、ああした境遇に自分の好みで落ちて行く人も、皆この地球と云う丸い動く球の上にのって居るのだと思うと、地球と云う者の度量の広さと、寛容さが面白い。
如何なる罪悪も、善行も、地球は平然として、我胸の上で行わせて居る。
そして、亡びねばならぬ運命を作ったものは、地球が何の手も出さない内にさっさと亡びてしまう。
まことに面白い事だと思う。
その度量の広いと云う事が、我々の様に、細かい事にまで哀れな神経をなやまして居る者は非常に慕わしいのである。
それはそうと、私は、今早く学校の始まるのを望んで居る。自分の意に満たぬ事はよし多くとも、一日が確に送れると云う事は、その他種々の仕事を、充分にはかどらせてくれる。
本を読むにしても、数多くのものが早く読めるし、書くにしても量が殖える。
規則と云う事に或る程度まで縛られなければ人間の充実した生活は送れないとかと云うて居る人は、世の中を重箱にして見る人であろう。
私は、私に必要な規則は只私の作った、私自身への規則であると思って居る。
これから先行くべき学校の選択に迷うたりして居ると余計、規則が自分に及ぼす影響などと云う事を思う。
とりとまらない事を書きつけて居ると、もう日が段々暖くなって来た。
遠くでする蝉の声、鶏の鳴く音が、市街と云っても場末な所の家らしく響いて来る。
又夜になったら、あのつづきを書くために、私の紙屑籠が肥らされるのであろう。
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
※1915(大正4)年8月4日執筆の習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング