ばきをつけて床几にかけている太田道灌にさし出している絵も見た。この絵は、『少女画報』という雑誌にのっていたと思う。
 太田道灌が、あっちからこっちへと武蔵野をみまわして、ここは都にするにいいところだと云った山が、道灌山だということだったが、わたしたちが行く道灌山で、見晴らしのきくのは田端側の崖上だけだった。その崖からは三河島一帯が低く遠くまで霞んで見わたせた。低いそっちは東で、反対の西側、うちのある方は、見はらしがきかなくて、お寺になっていた。
 お寺の庭は土がかたく平らで、はだしで繩とびをするのに、ひどく工合がよかった。春のまだひいやりする土が、柔らかな女の子のはだしの足の裏に快く吸いついた。三人の子供は、もうおさな児から少年少女になりかかって、はげしく体を動かして遊戯するようになっていた。
 道灌山の深い草は、かけまわるにも、その中へしゃがんでかくれるにも好都合で気にいっていたのに、こわいことがあって、わたしたち子供は、もう道灌山へは行かなくなってしまった。
 夏のはじまりごろの或る午後だった。上の弟が目をつぶって後向きに立ち、十をかぞえて鬼になり、わたしと小さい弟とが逃げ役で、草
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