フみちている街すじを歩いて市公園の表通りへまわった。
 往きに通って来た鉄柵沿いの紙くずなどの散った寂しい歩道とは正反対に、こちら側はいかにも近代都市公園をめぐってつくられている清楚な大通りだった。おこたらず手入されて、ゆるやかな起伏に風情《ふぜい》のある芝生が、幅ひろく清潔な歩道のきわまでひろがっている。滑らかな車道を、立派な自動車が駛《はし》っていて、行手に遠く大理石のオベリスクのような記念塔が聳えていた。正午ちかい陽が真上からその富裕らしい大通りを照した。ガソリンの軽い匂いがあたりに漂い、遠目に記念塔の大理石が白くきらめいている。
 暫く行って、みて、伸子はその公園通りが、そこの歩道を歩く人のためというよりも、自家用自動車の駛りすぎる窓から眺める風物として満足感を与えるように端から端まで手ぎれいにされているということを理解した。歩道に沿って、一つのベンチも置いてなかった。そこは歩くしかないようにこしらえられている見事な公園通りなのだった。公園のいい景色を眺めながら、陽にでもあたってベンチで休みたいと思う通行人はワルシャワではたった一日しか逗留しない旅客である伸子たちが今そうして歩いているように、自動車なんかにのらないのだ。タクシーのつかまえようがわからない人でもあるのだ。どこかで足を休ませたいのを、こらえて歩いているうちに、この公園通りの見てくれのいい壮麗さが段々伸子の癪にさわって来た。伸子のその気分が通じたように、素子が歩道の上で立ちどまった。
「この調子じゃ、どこまで行ったって結局同じこったね」
 どこかへかけて一服したそうに素子もぐるりを見まわした。
「――ベンチぐらい置いたってよかりそうなもんだのに――薄情にできてる」
 仕方なく二人は、ずっとのろい歩調で歩きつづけた。
「変だなあ、いくらなんでもあれっきりのメーデーなんてあるもんかね」
 はっきり目当てもないままに素子も伸子も心のどこかで、メーデーらしいメーデーの行進をさがしてここまでは足早に来もしたのだった。
「はじめっから分散デモだったんだろうか」
「そう思える?」
 二人の前に贅沢らしく照り輝やいているその公園通りのどこの隅にも、きょうがメーデーだという雰囲気はなかった。伸子たちが、公園裏の陰気な広場で目撃して来た光景は、夢魔にすぎないとでも云われかねない様子だった。
 伸子と素子とは、くたびれて、がっかりした気持で、おそい昼飯にホテルへ戻った。そうやって歩いて来てみると、ワルシャワのステーションから伸子たちをのせて来た馬車が、雨の中を街まで出て大まわりして来たのがわかった。ステーションから灌木の茂みの見える小公園を直線にぬけると、ついそこがホテル前の広場だった。
「これだからいやんなっちゃう! あの爺、あらかた街をひとまわりして来てやがる」
「いいじゃないの。どうせ街見物《サイト・シーイング》なんだもの」
 いちいち腹を立てていたら、これから言葉もわからない国々を旅行するのに、たまったものではない、と伸子は思った。
「抜けめない旅行をしようなんかと思って、気をはるの、わたしいや。どうせ土地の連中にかないっこないんだもの」
「ぶこはいい気なもんだ。――おかげでわたし一人がけちけちしたり気をもんだりしてなけりゃならない」

 ひる休みのあと、伸子と素子とはもう一度ホテルを出た。こんどは本式にワルシャワの街見物のために。二人はまたステーション前から馬車をやとった。伸子たちがそれにのってウィーンへ向う列車はその晩の七時すぎにワルシャワを出発する予定だった。
 ワルシャワの辻馬車が街見物をさせてまわる個所は大体きまっているらしく、毛並のわるい栗毛馬にひかれた伸子たちの馬車はいくつかの町をぬけて、次第に道はばの狭い穢い通りへはいって行った。やがて、ごろた石じきの横丁のようなところへさしかかった。馬車の上から手がとどきそうに迫った両側の家々の窓に、あらゆる種類の洗濯物が干してある。それらの洗濯物は、そうやってぬれて綱にはられているからこそ洗濯ものとよばれるけれど、どれもみんな襤褸《ぼろ》ばかりだった。上半身裸体のようななりをした女が、その窓際で何かしているのが見える。貧相な荒物店。ごたごたした錠前や古時計などが並んでいる店があって、やっと人のすれちがえる歩道の上で子供たちがかたまって遊んでいた。こちらを向いてしゃがんでいる女の子の体がむき出しに馬車にのって通りすぎてゆく伸子たちの目にふれた。子供たちの体も服も不公平なしによごれていた。どっか近くの窓のなかから、ドイツ語に似たユダヤ語で、男と女が早口に云い合いする声が起った。それはじきやんだ。狭い穢いその町すじ全体に貧困と人口過剰と漠然として絶間ない不安がのしかかっているようで、馬の足なみにまかせてごろた石の上に蹄の音をたてながら通ってゆく伸子たちの馬車は大きな塵芥すて場のわきにあるような一種のにおいにつつまれた。そこは、ワルシャワの旧市街とよばれ、昔からユダヤ人の住んでいる一廓だった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ではユダヤ劇場があり、トゥウェルスカヤの角から芸術座へ曲るところに大きい清潔なユダヤ料理店があった。伸子と素子とは、ときどきそこで一風かわった魚料理だの揚ものだのをたべた。そこの店では、いつもこざっぱりとした身じまいの女が給仕した。
 ワルシャワのここではその不潔で古い町すじに密集して建っている建物のすき間というすき間に、その内部にぎっしりつまって生きている不幸な老若子供よりもっとどっさりの南京虫が棲息していることはたしかだった。幌をあげた馬車の上から、通りの左右に惨めさを眺めて行く伸子の顔に苦しく悲しい色が濃くなった。現代になっても、こんなに根ぶかく、血なまぐさくユダヤに対する偏見がのこっていることは、ヨーロッパ文明の暗さとしか伸子に思えなかった。東京に生れて東京で育った伸子は、日本の地方の特殊部落に対する偏見も実感として知っていなかった。これまでポーランドが自分の国をあんなに分割され、自身の悲劇と屈辱の歴史をもって来たのに、そのなかでなお絶えず侮蔑するもの、人づきあいしないもの、虐殺の対象としてユダヤの人々をもって来ていることを思うと、伸子は苦しく、おそろしかった。関東の大震災のとき、東京そのほかで虐殺された朝鮮人の屍の写真を見たことがあった。虐殺という連想から伸子は馬車の上で計らずその記憶をよびおこした。
 その旧市街《スタールイ・ゴーロド》にも、きょうがワルシャワのメーデーだという気配はちっともなかった。おそらくはきのうと同じような貧しさ。不潔さ。溝ぶちに群れている子供たちのあしたもそうであろう穢さと虐げられた民の子供らの変なおとなしさ。
 伸子と素子とをのせた馬車は、葬式のような馬の足どりで旧市街を通過した。一つの門のようなところをぬけると御者が、自分もほっとしたように御者台の上へ坐り直して、ロシア語で云った。
「さて、こんどは新市街へ行きましょう」
「あっちはきれいです。立派な公園もあります」
 ついでに自分も一見物というような口調だった。
 なるほど暫くすると、伸子たちの馬車は、その馬車のいかにも駅前の客待ちらしいうすぎたなさが周囲から目立つように堂々とした住宅街にのり入れた。近代的な公園住宅で、一つ一つの邸宅が趣をこらして美しい常緑樹の木立と花園に包まれて建っていた。芝生の噴水のまわりで小さい子供が真白いエプロンをつけた乳母に守りされながら、大きい犬と遊んでいる庭園も見えた。この界隈では、富んでいるのが人間として普通であるようであり、どの家もそれを当然としてかくそうとしていなかった。旧市街の人々が、せま苦しい往来いっぱいに貧を氾濫させて、かくそうにもかくしきれずにいたとは反対に。
 その住宅街を貫いて滑らかな車道と春の芽にかすみ立った並木道が、なだらかに遙か見わたせた。自分たちが決してこれらの近代的|館《マンシャン》の客となることはないのだと感じながら、伸子は贅沢に静まっている邸宅の前を次々と馬車で通りすぎて行った。伸子は、ふと、こういう邸宅のもち主にユダヤの人は一人もいないのかしら、とあやしんだ。いるにきまっていた。たとえば、ここのどの屋敷の一つかがロスチャイルド一門に属すものであったとしたら、近所の召使いたちは何と噂するだろう。うちのお隣りはロスチャイルドの御親戚なんですよ。そう云わないだろうか。そういう召使自身はポーランド人であり、旧市街《スタールイ・ゴーロド》へは足もふみ入れたことがない、ということを誇りとしていることもあり得るのだ。そのようにあり得る現実を伸子は嫌悪した。
 馬車は馬の足並みにまかせてゆっくりひかれてゆく。美しい糸杉の生垣の彼方に黄色いイギリス水仙の花が咲きみだれている庭があった。その美しい糸杉の生垣も早咲きのイギリス水仙の花も、繊細な唐草をうち出した鉄の門扉をとおして、往来から見えるのだった。まるで、ここにある人生そのものを説明しているようだ、と伸子は思った。その人生は、旧市街《スタールイ・ゴーロド》のくさい建物につめこまれている夥《おびただ》しい人生とはちがうし、伸子が名を知らないあの陰気な広場へ赤旗をもって行進して来た人々の人生ともちがう。そして、糸杉と黄水仙のある人生は、それが無数の他の人生とちがうことについて満足している。――
 伸子はかたわらの素子を見た。素子は火をつけたタバコを片手にもち、手袋をぬいだもう片方の指さきで、舌のさきについたタバコの粉をとりながら、馬車の上から、とりとめのない視線を過ぎてゆく景色の上においている。焦点のぼやけたその表情と、むっつりしてあんまりものも云わないところをみれば、素子も特別気が晴れていないのだ。ゆうべホテルの食堂でモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]馴れした自分の目をみはらせたワルシャワのパンの白さ。それが、象徴的に伸子に思い浮んだ。パンはあんなに白い。――パンのその白さを反対の暗さの方から伸子に思い出させるようなものがワルシャワの生活とその市街の瞥見のうちにあった。メーデーさえ何だか底なしのどこかへ吸いこまれてしまって、しかも、それについては、知っているものしか知っていてはいけないとでもいうような。ワルシャワの街そのものが秘密をもっているような感じだった。
 折から、伸子たちをのせた馬車が、とある四辻のこぢんまりした広場めいた場所にさしかかった。その辺一帯の公園住宅地のそこに、また改めて装飾的な円形小花園をつくり、伸子たちの乗っている馬車の上からその中央に置かれている大きい大理石の塊《マッス》の側面が見えた。大理石の塊《マッス》から誰かの記念像が彫り出されている。記念像は下町に向ってなだらかにのびている大通りにその正面を向けて建てられているのだった。
「ショパンの記念像です。有名なポーランドの音楽家のショパンの像です」
 御者は、御者台の上で体をひねってうしろの座席の伸子たちにそう説明しながら、ゆっくり手綱《たづな》をさばき、その記念像の正面へ馬車をまわしかけた。
「どうする?」
 少しあわてたような顔で素子が伸子を見た。
「見るかい?」
「いい。いい」
 伸子もせかついてことわった。この首府の名物ショパンの像と云ったものを見せられたところで、伸子がワルシャワの街から受けた印象がどうなろうとも思えなかった。
「まっすぐゆきましょうよ」
 素子は御者に向って片手を否定的な身ぶりでふりながら、
「ハラショー。ハラショー。ニェ・ナーダ(よしよし、いらないよ)」
と云った。
「プリャーモ・パイェージチェ(まっすぐ行きなさい)」
 うすよごれた馬車は、伸子と素子とをのせてそのまま下町を見晴らす大きな坂へさしかかった。かすかにあたりをこめはじめた夕靄と、薄い雲の彼方の夕映えにつつまれたワルシャワの市街にそのとき一斉に灯がともった。

        二

 ヨーロッパ大戦の後、オーストリアの伝統を支配していたハップスブルグ家の華美な権威がくずれて、オーストリアは共和国になった。首府ウィーン
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